第三章 暗がりの街
nightmare street
「ここは暗い。灯が明るすぎて、影が濃くなるよ。」




 午後一時過ぎ、上野駅に着いた特急から簡単な荷物を持って朔はホームに立った。

 人の流れに沿い、改札口に向かう。

 駅員に特急券と乗車券を渡し、改札を抜ける。

 そしてふと気付く。

 これから自分はどうすればいいのか。

 全く今まで気付かなかったことに苦笑し、晴海かみのりに電話してみようと携帯を取り出した時だった。

「御鏡、朔さんですね?」

 女の声に呼びかけられる。

 声の方を振り向くと、女が立っていた。

 細身のスーツを着込んだ、黒髪のショートヘア。

 顔立ちは整っていて凛とした雰囲気がある。

 知らない女だ。

「初めまして、岩代瑞樹といいます。貴方をお迎えに参りました。」

 にこりとも笑わずに女は事務的な口調でそう言った。

「外に車があります、そちらへどうぞ。」

 恐らく、この女は内調なのだろう。

 敢えて自分の立場を言っていない所からそう考えられる。

 外部で自分の役職を口に出すなど、徹底されたプロである人間がするはずもない。

「ああ。」

 そこまで考え、恐らくこの女について行くのが最も賢明だろうという結論に行き着いた。

 歩き出す女の後ろを、朔は黙って歩き出した。


 上野駅公園口の前に黒塗りのベンツが一台停められている。

 朔と女がその前に立つと、中から一人の男が現れた。

「初めまして、灰谷庇です。本日の運転手を務めさせて頂きます。」

 開襟シャツの、人のよさげな顔の男。

 この男も内調なのだろう。

 朔は短くああ、と答えると、男の開けたドアから後ろのシートに乗り込んだ。

 さすがは高級外車といったところか。

 晴海のジャガーに匹敵、いや、もしかしたらそれ以上の乗り心地かもしれない。

 金をかけている、そんなことを思っているうちに女、瑞樹は助席に、男、庇が運転席に乗り込む。

 車は心地よいエンジン音を立てると、上野公園を右手に見ながら中央通りへと出て行った。

 さてどうするか。

 朔は窓から景色を見るふりをしながら、この二人の人間から情報を引き出す方法を考えていた。

 そもそも内調の人間達は、自分や闇の現の人間達をどう思っているのか。

 それをはっきりさせておきたい。

 それ如何には、自分の態度も考えなくてはならないだろう。

 しかし、いかんせん二人は無表情だ。

「・・・・・・」

 鉄仮面を剥がすところから始めてみるか・・・

 とりあえず、女よりも男の方が話易そうか。

「なぁ、これからどこ向かうんだ?」

 朔は身を乗り出すと、敢えて運転をしている男の方に声を掛けた。

「・・・」

 男が一瞬女の方を見たのを、朔は見逃さなかった。

 女が軽く頷く。

「銀座にある、私たちの本部です。」

 男はそれを確認すると、何事もなかったようにそう言った。

「銀座・・・ね。随分なところにあるんだな。」

 朔はその身を引くと、興味なさげにそう返事を返した。

(女が邪魔だな・・・)

 先程の二人のやり取りから、女が男より立場が上なのが解った。

 そして、女をどうにかしないと男からも情報は得ることは出来そうにない。

 二人から直接情報を得ることは出来そうにない・・・か。

 朔はこの方法を諦め、次の手段に訴えてみることにした。

 二人に何も言わず、ポシェットから煙草を取り出す。

 敢えてライターは出さなかった。

「ライター、貸してくれません?」

 未成年の要求にどんな反応を返すのか。

 それに興味があった。

「・・・」

 女は朔に何も言わず、男にライターを持っているか聞き始めた。

 男は女に返事をしながら少し窓を開けた。

(なるほどね・・・)

 つまり貸す意志あり、ということだ。

 咎める様子もない。

 少なくとも、自分自身はご機嫌取りを受ける立場であることはなんとなく理解できた。

 ならば下手に出る必要はないだろう。

 なめられてはいかない、か。

 頭を他人の言葉が掠めてゆく。

 男からライターを受け取ったのか、女が火を付けたライターを差し出した。

 朔は有難うと小声で言うと、煙草に火を付けた。

 女はすぐに前に向き直る。

 朔は煙を吐き出しながら、特急に乗る前の児雷也の言葉を思い出していた。

『お主は王者。闇の現を統べる者。内調などになめられるなよ、儂等なくして四条機関は成り立たん。巫山戯たことを、言わすでないぞ。』

 全く自分には王者とか冥王とか、そんな自覚は微塵もない。

 しかし、他人に見下されるというのは個人的に好かない。

 なめられるよりは、ちょっと脅しをかけておく位が自分の性に合っているだろう。

 朔は自分の立場を少しだが知ることが出来たことに一人ほくそ笑みながら、見慣れぬ東京の街並みを見ていた。

 中央通りを進む車は、ビルが密集した街並みを走ってゆく。

 汚いな・・・

 ごみごみした街の雰囲気からそんなことを思う。

 スモッグの所為だろうか、空は晴れているのに微かに仄暗い。

 至る所に今は点いてはいない灯りが見える。

(眠らない街、東京・・・か。)

 確かに全てのライトが点いたとすれば、この街は夜だというのに明るいだろう。

 だが。

 知っている。

 無駄な灯りは、余計な影を作ることを。

  この街の影が、朔には至る所に見える気がしていた。


 厄介な相手ね。

 景色を見ながらぼんやりとしている朔をミラーで見ながら、瑞樹は思った。

 随分長く監視をしていたが、こうして直接話したりするのは初めてだ。

 いつも直情的で思慮が欠けており、簡単にキレてしまう、そんな浅はかな男。

 それが今まで朔への瑞樹の評価だった。

 しかし、実際はどうだ。

 なかなかにしたたかな男が、煙草の煙を吐き出している。

 やられたと思った。

 もしかしたら、火は渡すべきではなかったのかもしれない。

 五月蠅くされたら面倒だと考えたが、それで後ろの男には自分たちが気を回していることに気付かれた。

 まだまだ高校二年の餓鬼。

 空気に飲まれれば、はいはい言うだろうと考えていたが、どうやらそうはいかなそうだ。

 彼は自分の立場に勘付いている。

 下手な言葉は、彼の機嫌を損なうだけだろう。

 自分たちの計画には、闇の現は必要不可欠。

 トップに不快感を与えるのは不味い。

 どうやらこれから朔に対して自分たちが下手に回らねばならないことに対し、女は多少だがその頭を痛めていた。

(馬鹿じゃ、ないわけね・・・)

 自分の今までの考えを素直に反省し、これから自分がすべき事を頭に浮かべていた。


 車は幾つ目かの交差点を曲がると、銀座の中でも寂れた道を走っていた。

 人通りは少なく、走る車の数もそう無い。

 四階建ての、コンクリート打ちっ放しのモダンな雰囲気のビルの前で、庇は車を止めた。

 どうやら着いたようだ。

 前の二人が下りるのを確認すると、朔もまた二人に続いて下りようとした時だった。

 庇によってドアが開かれる。

 改めてその瞬間、自分の待遇の良さを感じていた。

「ここです。」

 瑞樹がビルの前に立ち、相変わらず鉄仮面のまま言った。

 入り口の辺りを見たが、その中に何の事務所やらが入っているのかは何処にも記されていない。

 当然と言えば当然であるが。

 しかし機密事項を取り扱っている組織が大都会の寂れたところにあるのはなんだか不思議な感覚だった。

「木を隠すなら森の中、ってわけだ。」

 確かに人目を憚って何処か山奥に本部を置くよりこっちの方が逆に怪しまれないのだろう。

「最上階に、私たちのトップがいます。そこまでご案内致します。」

 瑞樹は抑揚のない声でそう言うと、ビルの中へ入っていく。

 朔はその後に大人しく付いていった。


 建物の中も外側と同じくコンクリートの打ちっ放しで、無機質な感じをまず受けた。

 広くも狭くもないロビー。

 会社ではないからカウンターはない。

 簡単なアルミ製の椅子と、飲料の自動販売機、そして灰皿。

 隅っこに申し訳程度の観葉植物が置いてある。

 一切の無駄を省いた空間。

 朔にとってはなかなか好感の持てるものだった。

 しかし気になることが一点。

 殆ど人の気配がしない。

 一階には自分たち三人しかいないのだ。

「他に人っていないのか?」

 一応本部なら、もっと人がいてもいいと思のが当然だろう。

「それとも内調ってそんなに人いないのか?」

「内調全部が四条機関に属しているわけではありません。」

 朔の疑問に返答したのは庇の方だった。

「内調のなかでも特務課と言われる部署が四条機関に属しています。ここは内調の本部ではなく特務課の本部なんです。」

 しかしそれだけでは全ての答えになってはいない。

「じゃあ特務課には人がいないってか?」

 入って正面にある階段ではなく、脇に設置されたエレベーターの前で下りてくるのを待っている。

「いえ、人数は多いですが本部にいる人間が僅かなだけです。」

 階数を示すライトが3から2に変わる。

「・・・前々から気になってたけど、内調って何してるんだ?」

 朔の声と共にチーンとエレベータが到着した合図が鳴った。

 くすんだ銀色の扉が開き、三人は中へ入る。

 特に飾り気のないエレベーターだ。

 しかし安っぽい感は受けない。

 やはり国家権力下の組織なだけのことはあるようだ。

「主な仕事は貴方様方闇の現のフォローです。情報が外に漏れぬように、暗に動くことですね。」

 前に児雷也から聞いたことがあるようなことを言う。

「具体的に言ってくれ。」

 ぴんと来ない朔は階数が上がっていくのを目で追いながら言った。

「まずは簡単な情報操作です。禍凶出現の報告を闇の現から頂いたら、簡単な噂を流して人が近付かないようにしたり・・・」

「そんな程度の低い事してるのか?」

 まだ話の途中だったが朔は瞬間的に思ったことを口にしていた。

 かなり挑発的な物言いではあるが、下手に回る必要がないと解った以上攻撃あるのみだ。

 心理の風上に立ったなら、二度と相手が立ち上がれなくなるまで徹底的にその心を挫く。

 幼い時から心を闇に置き、歪んだ攻撃性を待った朔お得意の心理攻撃だ。

 全くもって朔の言葉も程度が低いと言えるが、そういった言葉の方が攻撃力がある。

 反論できない立場なら尚更だ。

 庇は苦虫を噛み潰したような表情を一瞬だが見せた。

 しかしすぐに平静を装った顔にしたのを見て、朔は内心でほくそ笑む。

 徹底的にやってやる。

 加虐心が人一倍強い朔は、暗い思いを内に蠢かせていた。

「まさか、それだけではないですよ。裏内閣に伝えて人を寄せ付けないような処置を近くの公機関にさせたり、我々が工事の人間に扮して道を塞いだり・・・」

 はっ、とまた話の途中であるにも関わらず、思い切り庇に聞こえるように鼻で朔が笑う。

 明らかに不機嫌そうな顔を庇が見せたが、そんなことは関係ない。

 力ある者が弱者を責めるのは、人間にとって当然のことだ。

「・・・無論それだけでは完璧と言えないのは解っています。何かの手違いで禍凶や闇の現の人間を見てしまった人がいた場合のフォローも、私たちの仕事です。」

「当然だろ。尻は自分で拭くものだ。」

 確かに朔の言っていることはいちいち正論だ。

 一般人に知れ渡らぬようにするのが仕事なのに、知られてしまっては本末転倒だ。

 その点をフォローするのは当然の行為だ。

 しかし、やはり言葉が悪い。

 先程まで人の良さそうな顔をしていた庇の眉間に、深い皺が寄っている。

「確かにそうですね・・・」

 だが反論できぬ立場にいる以上それを堪える他道はない。

 四階につき戸が開く。

 結局庇のフォローを一度もすることの無かった瑞樹がまず降り、朔と庇もそれに続いた。

「で、フォローって具体的にどうすんだ?」

 何となくだが返答の予想が出来ていた朔は、懲りずに庇を言葉責めしようと餌をまく。

 簡単に庇はそれに乗ってしまった。

「えっと、記憶置換ってご存じですか?」

 よく映画で使われる、赤だかなんだかの光を見せられるとその直前に見た記憶の代わりに別の記憶を入れるというやつだ。

「はっ、ホントそこまで来るとMIBだな。」

 予想通りの返答が返ってきたことに内心高笑いをしながら、朔はつまらなさ下に言った。

 どうやら効果的だったらしい。

 顔は何とか平静を保っているが、強く握られた庇の拳は小刻みに震えている。

 屈辱を感じているのだろう。

 朔は下を向いて二人に顔が見られないようにすると、唇の端だけ吊り上げて密かに笑うのだった。




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