この街の影が、朔には至る所に見える気がしていた。
厄介な相手ね。
景色を見ながらぼんやりとしている朔をミラーで見ながら、瑞樹は思った。
随分長く監視をしていたが、こうして直接話したりするのは初めてだ。
いつも直情的で思慮が欠けており、簡単にキレてしまう、そんな浅はかな男。
それが今まで朔への瑞樹の評価だった。
しかし、実際はどうだ。
なかなかにしたたかな男が、煙草の煙を吐き出している。
やられたと思った。
もしかしたら、火は渡すべきではなかったのかもしれない。
五月蠅くされたら面倒だと考えたが、それで後ろの男には自分たちが気を回していることに気付かれた。
まだまだ高校二年の餓鬼。
空気に飲まれれば、はいはい言うだろうと考えていたが、どうやらそうはいかなそうだ。
彼は自分の立場に勘付いている。
下手な言葉は、彼の機嫌を損なうだけだろう。
自分たちの計画には、闇の現は必要不可欠。
トップに不快感を与えるのは不味い。
どうやらこれから朔に対して自分たちが下手に回らねばならないことに対し、女は多少だがその頭を痛めていた。
(馬鹿じゃ、ないわけね・・・)
自分の今までの考えを素直に反省し、これから自分がすべき事を頭に浮かべていた。
車は幾つ目かの交差点を曲がると、銀座の中でも寂れた道を走っていた。
人通りは少なく、走る車の数もそう無い。
四階建ての、コンクリート打ちっ放しのモダンな雰囲気のビルの前で、庇は車を止めた。
どうやら着いたようだ。
前の二人が下りるのを確認すると、朔もまた二人に続いて下りようとした時だった。
庇によってドアが開かれる。
改めてその瞬間、自分の待遇の良さを感じていた。
「ここです。」
瑞樹がビルの前に立ち、相変わらず鉄仮面のまま言った。
入り口の辺りを見たが、その中に何の事務所やらが入っているのかは何処にも記されていない。
当然と言えば当然であるが。
しかし機密事項を取り扱っている組織が大都会の寂れたところにあるのはなんだか不思議な感覚だった。
「木を隠すなら森の中、ってわけだ。」
確かに人目を憚って何処か山奥に本部を置くよりこっちの方が逆に怪しまれないのだろう。
「最上階に、私たちのトップがいます。そこまでご案内致します。」
瑞樹は抑揚のない声でそう言うと、ビルの中へ入っていく。
朔はその後に大人しく付いていった。
建物の中も外側と同じくコンクリートの打ちっ放しで、無機質な感じをまず受けた。
広くも狭くもないロビー。
会社ではないからカウンターはない。
簡単なアルミ製の椅子と、飲料の自動販売機、そして灰皿。
隅っこに申し訳程度の観葉植物が置いてある。
一切の無駄を省いた空間。
朔にとってはなかなか好感の持てるものだった。
しかし気になることが一点。
殆ど人の気配がしない。
一階には自分たち三人しかいないのだ。
「他に人っていないのか?」
一応本部なら、もっと人がいてもいいと思のが当然だろう。
「それとも内調ってそんなに人いないのか?」
「内調全部が四条機関に属しているわけではありません。」
朔の疑問に返答したのは庇の方だった。
「内調のなかでも特務課と言われる部署が四条機関に属しています。ここは内調の本部ではなく特務課の本部なんです。」
しかしそれだけでは全ての答えになってはいない。
「じゃあ特務課には人がいないってか?」
入って正面にある階段ではなく、脇に設置されたエレベーターの前で下りてくるのを待っている。
「いえ、人数は多いですが本部にいる人間が僅かなだけです。」
階数を示すライトが3から2に変わる。
「・・・前々から気になってたけど、内調って何してるんだ?」
朔の声と共にチーンとエレベータが到着した合図が鳴った。
くすんだ銀色の扉が開き、三人は中へ入る。
特に飾り気のないエレベーターだ。
しかし安っぽい感は受けない。
やはり国家権力下の組織なだけのことはあるようだ。
「主な仕事は貴方様方闇の現のフォローです。情報が外に漏れぬように、暗に動くことですね。」
前に児雷也から聞いたことがあるようなことを言う。
「具体的に言ってくれ。」
ぴんと来ない朔は階数が上がっていくのを目で追いながら言った。
「まずは簡単な情報操作です。禍凶出現の報告を闇の現から頂いたら、簡単な噂を流して人が近付かないようにしたり・・・」
「そんな程度の低い事してるのか?」
まだ話の途中だったが朔は瞬間的に思ったことを口にしていた。
かなり挑発的な物言いではあるが、下手に回る必要がないと解った以上攻撃あるのみだ。
心理の風上に立ったなら、二度と相手が立ち上がれなくなるまで徹底的にその心を挫く。
幼い時から心を闇に置き、歪んだ攻撃性を待った朔お得意の心理攻撃だ。
全くもって朔の言葉も程度が低いと言えるが、そういった言葉の方が攻撃力がある。
反論できない立場なら尚更だ。
庇は苦虫を噛み潰したような表情を一瞬だが見せた。
しかしすぐに平静を装った顔にしたのを見て、朔は内心でほくそ笑む。
徹底的にやってやる。
加虐心が人一倍強い朔は、暗い思いを内に蠢かせていた。
「まさか、それだけではないですよ。裏内閣に伝えて人を寄せ付けないような処置を近くの公機関にさせたり、我々が工事の人間に扮して道を塞いだり・・・」
はっ、とまた話の途中であるにも関わらず、思い切り庇に聞こえるように鼻で朔が笑う。
明らかに不機嫌そうな顔を庇が見せたが、そんなことは関係ない。
力ある者が弱者を責めるのは、人間にとって当然のことだ。
「・・・無論それだけでは完璧と言えないのは解っています。何かの手違いで禍凶や闇の現の人間を見てしまった人がいた場合のフォローも、私たちの仕事です。」
「当然だろ。尻は自分で拭くものだ。」
確かに朔の言っていることはいちいち正論だ。
一般人に知れ渡らぬようにするのが仕事なのに、知られてしまっては本末転倒だ。
その点をフォローするのは当然の行為だ。
しかし、やはり言葉が悪い。
先程まで人の良さそうな顔をしていた庇の眉間に、深い皺が寄っている。
「確かにそうですね・・・」
だが反論できぬ立場にいる以上それを堪える他道はない。
四階につき戸が開く。
結局庇のフォローを一度もすることの無かった瑞樹がまず降り、朔と庇もそれに続いた。
「で、フォローって具体的にどうすんだ?」
何となくだが返答の予想が出来ていた朔は、懲りずに庇を言葉責めしようと餌をまく。
簡単に庇はそれに乗ってしまった。
「えっと、記憶置換ってご存じですか?」
よく映画で使われる、赤だかなんだかの光を見せられるとその直前に見た記憶の代わりに別の記憶を入れるというやつだ。
「はっ、ホントそこまで来るとMIBだな。」
予想通りの返答が返ってきたことに内心高笑いをしながら、朔はつまらなさ下に言った。
どうやら効果的だったらしい。
顔は何とか平静を保っているが、強く握られた庇の拳は小刻みに震えている。
屈辱を感じているのだろう。
朔は下を向いて二人に顔が見られないようにすると、唇の端だけ吊り上げて密かに笑うのだった。