第二章 スリル
thrill
「命を死に晒す、その時初めてそれを感じられるんだ。」
流れるように過ぎてゆく景色を眺めている。
遠くに見える海は穏やかだった。
もう春の盛りも越えたようだ。
咲き誇る花々に代わり、鮮やかな緑が溢れている。
五月三日。
世間一般で言うゴールデンウィークに、朔は一人特急の指定席に腰を下ろしていた。
立花駅を昼前に出た特急列車は、左手に太平洋を臨みながら東京は上野駅に向かっている。
新幹線の通っていない磐城市から東京へ向かう数少ない術の一つだ。
娯楽の少ない地方の街から、短い連休を都市で過ごそうとする沢山の人間が同じ電車に乗っている。
一般席には立ったままの者もいるようだが、指定席の朔には関係のないことだった。
前の車両から、係の人間だろう、一人ひとりの乗車券を見て回っている。
自分流にカスタマイズしたポシェットから他の乗客と同じように券を出す。
係員はそれを確認すると、日付の印を押してそれを朔に返した。
そして同じ作業を繰り返して次の車両へと向かって行く。
朔はふと、手にした乗車券に目をやる。
突然に、それは送られてきた。
真っ黒な封に入れられて。
過ぎてゆく景色を横目に見ながら、それが届いた時を朔はふと思い返していた。
真っ暗な世界。
点々とある街灯が、微かに闇を照らしている。
よく舗装された道路は広い。
人影は見えない。
しかしそれは当然だろう。
時間は、日付が変わろうとしている頃。
場所は廃工場連。
こんな時間に、こんな所を歩く物好きな者などそうそういない。
しかし先程から、耳を塞ぎたくなるような轟音が駆け抜けていっている。
大きな二輪のマシン達が、風を切りながら猛スピードで走り抜ける。
今宵はライダー達の宴。
いや、唯のライダー達ではない。
頭の螺子が、少しイカレた連中の祭りだ。
バイクチーム“GUREN”。
その走りのスタイルはキャノンボール。
所謂“族”的な走りはしない。
目的地に、誰が最も早く辿り着くか。
ただ、それだけを純粋に競い合うのだ。
今日のコースは廃工場連の端から端まで。
トップを走るのは、真っ赤な機体だ。
ボディに炎を描いたそのバイクに、“GUREN”のヘッド、琴里燎士が乗っている。
時速150kmを越えた機体は、それでもなお、さらにスピードを増してゆく。
自分の身体をバイクから引き剥がそうとする、風。
それに必死に耐えながら、唯ひたすらに速く、速く、速く。
最早後続の機体は見えない。
それでも、貪欲に燎士は速さを求めた。
苛立ち。
どうしようもない事へ対する、腹の底に蠢く感情。
それをぶつけるために。
極限ギリギリのスピードを出すことで感じられる、スリル。
ただ、それを味わうために。
日々の生活にはうんざりだった。
頭の固い長老連の駒のように扱われ、夜毎禍凶を狩る毎日。
手に残る感触、鼻を突く腐敗臭、そして耳障りな断末魔の声。
何もかもが気に障る。
そして、朔。
結局、朔を“こっち”の世界に引き込む役割を果たしたのは自分だ。
闇の現に引き込んだのは。
それが、とても悔しい。
出来るなら、朔だけは何も知らないままでいて欲しかった。
自分のように鬱陶しい思いに駆られて欲しくなかったし、危険な事に巻き込みたくなかった。
そして、禁忌に触れて欲しくなかった。
「・・・・・・」
長老連が早急な朔の“目覚め”を要求しだし、児雷也はそれを無理にでも行おうとした。
他の奴等にそれを任せるぐらいなら、自分が。
そう思い、燎士はあの夜、朔を迎えに行っていたのだ。
結局、朔は目覚め、禁忌を犯した。
これでよかったのだろうかと思う。
そして、朔は自分を怨んではいないだろうか?
従兄弟として今まで随分長く付き合ってきたが、ずっと闇の現の事を秘密にしてきたのだ。
百合子や、真由、氷雨とは話が違う。
長い時間が、自分たちの間にあった。
その事実が、朔が自分を責める理由になるのではと思えてしまう。
拒絶されるのが怖くて、朔をあれから避けていた。
「・・・・・・」
下らない、実に下らないことだ。
そう無理に思い直し、運転に気を集中させた時だった。
(?)
自分の機体が照らされている。
後続のバイクはなかったはず、そう思い首を後ろに向けた。
黒いハーレー。
883ccの。
朔のマシンだ。
朔はヘルメットも着けず、髪を風に激しく靡かせながら燎士の後に続いた。
そもそも“GUREN”は二輪研究会の裏の活動だった。
朔も、こちらには頻繁に参加している。
ちっと舌を鳴らし、燎士はさらにスピードを上げる。
内心は穏やかでない。
相手が朔だと言うこともあるが、追いつかれたことに驚いた。
今まで一度も、速さ比べに負けたことがない。
元々朔は速かったが、自分程ではなかった。
まさか後ろを取られるなど、今まで考えたこともなかった。
焦りを感じる。
しかし先にカーブが見えた。
テクニックなら長く乗っている分自分に利がある。
これから続く沢山のカーブ。
いくら何でも、あのままのスピードで走り続けられるはずがない。
勝てる。
そう思いながら重心をカーブの内側へ向けた時だった。
風切り音を立てながら、朔のマシンが脇を走り抜けていった。
紅い目が残像を残す。
燎士が受けた衝撃はあまりに大きかった。
朔の身体は、限りなく道路にまで倒されていた。
まるで、恐怖心がないとでも言うかのように。
そして、その顔が・・・
そのまま二人の差は縮まることはなく、逆に広がってゆき、最後には後ろ姿すら見えなくなっていた。
煙草に火を付け大きく吸う。
ゴール地点にバイクは一台。
朔は自分たちだけに見える渦を眺めながら煙を吐き出した。
やがてエンジン音と風を切る音が聞こえてくる。
燎士だった。
「俺の勝ちだな。」
エンジンを切り、スタンドを立てている燎士に声を掛ける。
少なからず、燎士は驚いた。
まさか普通に声を掛けられるとは思っていなかった。
「・・・ああ、そうだな。」
驚きを知られぬよう、至って普通を装い返事を返す。
暫し沈黙が訪れた。
「リョウさん・・・」
先に声を発したのは朔の方だった。
「俺は・・・・別に誰も怨んじゃいないよ・・・」
朔自身も、燎士に最近避けられているのは気付いていた。
そして、なぜ燎士がそうするのかも薄々解っていた。
自分にずっと隠し事をしていたことを、この従兄弟は気に病んでいる。
それを、もう止めて欲しかった。
自分は誰も怨んでいない。
燎士も、百合子も、児雷也も。
そして、この宿世と共に自分と輝更を生んだ両親も。
怨んでも、悔やんでも、悲しんでも、どうしようもないことだから。
受け入れるしかないことだから。
だから、いつものように気軽に付き合いたいと思うのだ。
「・・・そうか。・・・有難う。」
自らの心配が杞憂であったことに安堵する。
嬉しさに気が高ぶりそうになるのを抑えながら、燎士はいつもの調子でそう答えた。
「ああ。」
朔は短くなった煙草をアルミ製の携帯灰皿に落としながらそう言った。
笑っていた。
その笑顔に、救われた自分がいることを燎士は感じていた。
「初めてリョウさんに勝ったな。」
厳つい顔に笑みを見つけ、朔は煙草の火を消しながら言った。
ああ、と燎士は自分が久しく笑みを忘れていたことに気付く。
ふっとそんな自分を鼻で笑いながら、後ろのポケットに突っ込まれていた煙草を取り出した。
JPS。
黒いケースがくしゃくしゃにつぶれている。
金色の文字が書かれたそれから器用に一本取り出し口にくわえると、燎士は自らの指を先端に翳した。
ぼっ、と小さな音と共に、燎士の指からライター程度の火が現れた。
深く息を吸い、煙草に火を付ける。
朔が新たな一本を加えているのを見て、その指を向けた。
「便利だな。」
朔は驚く様子もなく新たな一本に火を付ける。
「まあな。」
紫煙を吐き出しながら、燎士は笑って答えた。
琴里燎士。
彼もまた虚ろなる神々の器の一人。
不滅なる炎の神、不悪辺乃皇女の魂を色濃く受け継ぐもの。
操るは焔。
煉獄であり、浄化の炎だ。
闇の朔、光の輝更、水の氷雨、火の燎士、これで丁度半分の四器。
残りの半分は風、土、樹、雷の四器。
去りゆく風の神、惟琶王の器は翼。
豊穣たる大地の神、琥武亜乃皇子は大地に。
繁茂する樹木の神、世宮螺は百合子に。
そして稲光る雷の神、燵臣は真由に宿っている。
本当に、自分の回りの連中ばかりだと、面子を知った時朔は苦笑した。
もしかしたら自分は怨む立場ではなく、怨まれる立場なのではないかとも思えてしまう。
翼が今まで自分をあんなにも目の敵にしていたのは、器として目覚めさせる鍵となった自分自身が目覚めていなかったせいかもしれないと今は思う。
全く厄介な運命だと嗤う。
「・・・なぁ、サク・・・・・」
そんな思いに駆られていた朔に燎士が声を掛けた。
神妙な顔つきをしている。
「なんだよ、急に。」
燎士は言うべきなのか迷った様子だったが、意を決したのか口を開いた。
「・・・・・・お前、怖くなかったのか・・・・?」
「どういう意味だ?」
質問の意図が読めず、朔は煙を吐きながら答えた。
「あんなに身体を倒して、な。・・・普通の人間なら、びびってあんあ事出来はしない・・・」
燎士は一言一言慎重に言葉を選びながら話す。
朔に抜かれたあの一瞬。
言いようのない違和感を燎士は感じた。
確かに昔から無茶をするところが朔にはあった。
自ら危険に身を置くような。
しかし、今日のは明らかに違う。
朔はスリルを楽しんでいる。
それが今まで朔がそうしている理由だと燎士は思っていた。
いや、それはきっと正しいだろう。
朔は嗤うのだ。
スリルに身を委ねている時。
だが、今日自分を抜いていった朔の顔は嗤っていなかった。
寧ろ、冷め切った顔をしていた。
全く面白くないと言いたげな顔。
醒めた顔。
それが違和感として燻っている。
しかしそのまま言っていいものか判断がつかず、その点を曖昧にしながら言ったのだ。
「ああ・・・」
質問の意味を理解した朔は、くわえた煙草を手に持つと、思いを言葉にしようと上手く回らない頭で集中する。
「禍凶、狩ってるだろ、最近さ・・・・あれは、凄い怖い・・・・今まで感じたこと無いぐらい死を近くに感じる・・・・」
再び煙草を肺に入れ、そしてまた煙を吐き出す。
「でも・・・・さ。凄いドキドキするんだ・・・・俺ってさ、スリルってやつが大好きみたいでさ・・・だから今までも、こうやって夜走ってたんだ。いままでこれが一番ドキドキ出来たから・・・・」
朔が淡々と語るのを、燎士は静かに聞いていた。
「でも、もうそうじゃないんだ。多分ね。・・・相手が自分を殺すつもりで、自分も相手を殺す気満々の・・・そんな殺し合い・・・命のやり取りってやつのスリルを知っちゃったからさ・・・」
元々短い朔の煙草はもう吸えそうになく、それを灰皿に入れると新しい一本をさらに取り出す。
燎士は黙ってそれに火を付けた。
「・・・だから、全然ドキドキしないんだ。どんなにスピード出しても。もっと、もっとスリルを、って思ったら、あんなに身体倒してた。でも・・・・」
大きく息を吐く。
「全然足りなかった・・・・」
紅い目を細くして朔は月を見る。
「多分、あの殺し合いのスリルに慣れちまったんだな・・・・こいつにはまだ慣れたないけどさ。」
朔はそう言って自分の吸っている煙草を揺らす。
「当たり前だ。タール14mgだぞ。」
顔は笑っていたが、燎士の気持ちは複雑だった。
スリル。
命を死に晒して得られる感情。
人間しか持たない愚かな感情。
だからこそ、闇の神の器たる朔には相応しくもある。
だが。
何故かとても悲しく思えた。
全員のゴールをもって今日の“GUREN”の集会は終わった。
時刻は大体午前一時近く。
朔は未だ灯りのついていた自らの家へ戻ってきていた。
「ただいま。」
自分のためだけに鍵の開けられていた玄関を開く。
「おかえり。」
リビングの戸を開くとそこには晴海とみのりの二人がいた。
「輝更はもう寝た?」
朔は着込んでいたライダースジャケットをソファにかけると、妹のことを聞いてみた。
「時計を見てみろ。当然もう寝たよ。」
晴海は軽く笑いながら言った。
遅くに帰ってきた息子を咎める様子は微塵もない。
「そっか。で、二人してどうした?」
沈み込むように深くソファに座り込むと、二人して自分を待っていたような両親に質問を投げかける。
少し間をおくようにして、晴海は静かに真っ黒な封筒を朔に差し出した。
「これが今日、お前に届いた。」
真剣な顔つきの晴海からそれを受け取ると、朔は封を切ってみる。
中には五月三日付の上野までの特急の、特急券と乗車券が入っているだけだった。
「・・・なんだ?」
他に何か入っていないか上下に揺らすが何も出てこない。
「黒い封筒は内調が闇の現に連絡をする時に使うものなの。差出人を書かなくても内調からのものだと解るように。」
訝しげな顔の朔にみのりが事情を説明する。
「わざわざ何でそんなことするんだ?」
当然の質問といえばそうだろう。
「四条機関の存在や闇の現の活動は極秘事項だからな。最低限の情報以外は絶対に残せないんだ。」
「なるほどね・・・で、これはどういう意味だ?」
ひらひらの二枚の紙切れを手で弄びながら朔が言う。
「その日に東京へ来いと言うことだろう。内調のトップが、お前に会いたいと言うことだろうな。」
ふーん、と鼻で声を出す。
五月三日といえばゴールデンウィーク、連休だ。
しかし別段予定はない。
「行ってみるかな・・・・」
退屈な時間を東京で過ごそう。
そんな、簡単な思いだった。
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