第一章 夜の戯れ
bloody night
「今宵、僕らは血で遊ぶ。」




 月明かりがひび割れた窓から差し込んでいる。

 暗がりに慣れた目にはそれだけでも十分に眩しく、朔は目を細めた。

 まるで光に差された様な感覚。

 軽い眩暈を感じた。

 死臭がやけに鼻につく。

 身体が少しふらついた。

「大丈夫か?」

 涼しげな声を掛けられた。

 暗がりの向こうに一人の少年が立っている。

 細身で、全身を白い衣服で覆っている。

 髪は染めているのか、くすんだ銀色だ。

 鼻は細く高い。

 銀縁の眼鏡の奥には、切れ長の双眼があった。

 なかなかの美男子である。

 彼はその手に透き通った細身の剣を持っていた。

「あぁ、大丈夫だ。ただ眩しかっただけだ。」

 揺れる上体を正し、朔はその少年に言葉を返す。

「なぁ織部、今何階だ?」

 朔は少年、織部氷雨に問いかけた。

「四階だ。次が最上階。目標がいるのは、屋上の可能性もあるがな。」

 二人は今立花町と平良の間にある内里という街の、もはや誰もいない廃病院にいた。

 中に入ってかれこれ三十分は経とうとしている。

 携帯の時計は十二時半を示している。

 肝試しにはまだ早いこの時期に、二人はこんなところで何をしているのか。

 さらに、明かりの一つも持っていない。

 二人の姿を見る者がいたら、間違いなく首を傾げただろう。

 無論、こんな所に二人の姿を見た者などいなかったが。

 二人がこんな所にいるのは、禍凶の処理が目的だった。

 奴等は人が日頃寄らない場所に現れる習性がある。

 児雷也の言葉だった。

 だからこうして、朔と氷雨の二人は町はずれのこんな所にいるのだった。

 普段ならもう少し多い、五、六人で禍凶の処理は行われる。

 しかしそれは禍凶の処理だけを目的としている場合だけだ。

 今回は別の目的に重きを置いている。

 朔に多くの経験を積ませること。

 そのため、多少のリスクを冒しながら今回は二人での行動となったのだった。

 最初はたった二人での行動に朔は不安を抱いていた。

 しかし氷雨の力は想像していたものの遙か上をいっていた。

 彼が今手にしているのは、彼の力によって刃の姿をしている氷だ。

 力を発動させ、それを維持するにはかなりの集中力が必要とされることを、最近朔は知った。

 氷雨はその氷の剣をここに入った頃から持ちっぱなしである。

 自分との力を感じる一方で、頼もしくあった。

 織部氷雨、沙那姫の力を受け継ぎ水を操る者。

 いや、正しくはより強く引き継いだ者。

 虚ろなる神々の器。

 その八器のうちの一人。

(器・・・・か・・・・)

 その無機質な響きに苦笑を漏らす。

 虚ろなる神々の器、それは色濃く八柱の力を引き継いだ者達を指す名。

 八柱の内で異質なる二柱、斑愈回と伊於呂子の魂を引き継いだ者達と接することの多かった若年層たちがその器とされる。

 いや、なる。

 例え冥王や御子が目覚めてなかろうと、その奥底から溢れ出でる絶大なる力に共鳴して。

 若年層しか器たり得ないのは、未だ未成熟な力が故に外部の影響を強く受けるためだと闇の現内では考えられているらしい。

 しかし器という響きはどうだろうかと、朔は少し思う。

 まるで、自分たちではなくその中身が大事だと言わんばかりではないか。

 なら、俺達はどうなる?

 器の俺達は・・・

「おい、本当に大丈夫か?」  黙考に耽っていたため、再度氷雨から怪訝な顔を向けられる。

 下らない・・・

 頭に浮かぶ思考をその一言で一蹴すると、朔は今自分が成すべきことに再びその集中を注ぐことにした。



 ゆっくりと、汚れの目立つ階段を登る。

 五階も全て見て回ってみたが、遭遇した禍凶はどれも取るに足らない相手だった。

 多少は力の使い方を覚え始めた朔にとって、最早屑がどれほど束になってかかってこようと、回りを飛び回る目障りな蠅に等しかった。

 加えて、氷雨の存在。

 未だ氷雨がその氷の剣以外の力を使ったのを、この廃病院に入ってから朔は見ていない。

 それ以上の力を、当然持っていることは明らかだったが。

 結局、氷雨にとっても雑魚同然の相手だと言うことだろう。

 目標としている、強力な禍凶にはまだ遭遇していない。

 一階から虱潰しに見て回ってきたのだ。

 後は、屋上を残すのみだ。

 朔は鋲の打たれたポシェットから煙草を取り出し、吸い出した。

 肺に送り込まれるタールの重みを感じながら、気持ちを落ち着かせる。

「御鏡。」

 先を歩いていた氷雨が立ち止まり、振り返って言う。

「相手が“業”程度の相手だったら、一人で戦え。」

 その言葉に朔は一瞬呼吸を止めた。

 嫌な記憶が思い浮かぶ。

 “業”。

 それに朔は一度殺されかけている。

 傷はもう癒えたが、身体を突き刺されたあの痛みは思い出すだけでも顔が歪む。

 その気後れを感じ取ったのか、氷雨は多少柔らかな声で言った。

「恐れるな。数が多ければほとんどは私が片付ける。“業”以上の禍凶なら、私だけで戦ってもいい。」

 そう言いながら氷雨は前へ向き直すと、最早さび付いたドアノブへと手を伸ばした。

「それにな・・・」

 そして、独り言のように小さく呟く。

「私の前で誰も死なせたりはしない・・・絶対に・・・」

 錆びきった金属が擦れる音を立て、朽ちた戸が開いてゆく。

 朔はまだ短くなりかけの煙草を捨てる。

 満天の空に、渦が一つ渦巻いていた。



「三匹・・・ね。どうする織部・・・・」

 星々によって微かに照らされた屋上に、三匹の業が待ちかまえていたかのように浮かんでいる。

「一匹はお前が片付けろ。二匹は私がやる。」

 身を固くした朔の脇をすっと歩み出してゆく。

「行くぞ・・・」

 氷雨は駆けだした。

 三匹の業が勢いよく紫の触手を氷雨へと伸ばす。

 氷雨はそれら全てを身を翻すようにして避けると、手にした刃でそれらを切り裂く。

 気味の悪い色の体液が傷口から吹き出す。

 腐敗臭が漂った。

「ボサッとするな御鏡、せめて一体でも葬ってみろ!」

 堅くなって動けないままでいた朔に激しい叱咤が飛ぶ。

 ちっと舌を鳴らし、朔は震える拳を強く握ると一匹の業へと向けて駆けだした。

 回りの闇を身に纏い、腕が長く伸びてゆく。

 『腕』と呼ばれる力。

 闇を身に纏い、自らの腕を闇の一部とする力だ。

 しつこく禍凶狩りに付き合わされるうちに、朔がとりあえずそこそこには使いこなせるようになった技の一つ。

 朔は二倍以上に伸びたその腕を大きく振りかざし、ビヤ樽のような業へと振り下ろす。

 しかし鈍重そうな姿に似合わず業はその攻撃を躱すと、その身体を小刻みに震わせる。

「来るぞ、御鏡!」

 三体の内二体の注意を上手く惹きつけながら、氷雨が朔に忠告を飛ばす。

 戦闘中、相手をどれだけ観察出来るかが生と死を分かつ。

 耳にタコが出来るぐらい先輩搦手から言われた言葉が頭をよぎる。

 敵をよく見ることで、その動き、攻撃方法を見極められるかどうか。それで生きるか死かが決まるという意味だ。

 業の身体から紫色の刃が伸びる。

 しかしその触手は朔の身体に触れることすらなかった。

 影から伸びた闇の刃が身体に届く前にそれを切り裂いていたのだ。

 これまでの経験によって、影から刃を伸ばす『穿ち』の発生にも殆ど時間がかからないようになってきた。

 これまではめちゃくちゃに使ってきていたが、どうやらこの技は防御に適したものであることを朔は最近気付き始めていた。

 思惑通り業の触手を切り裂きつつ、戦う術を考える。

(触手伸ばす前に震えるのか・・・)

 氷雨の言葉をかけたタイミングと今の業を見て考えるに、どうやら予想は当たっているだろう。

 しかし・・・

(どうやって攻撃する・・・・?)

 相手の攻撃をかわす術はこれで出来たが、それで勝ちはない。

 接近し、攻撃を加えなくては勝利はないのだ。

 過去に一度一対一で殺し合った時には、偶然にも『移り』という高等技術を使えたことによりからくも生き延びたが、それ以来一度も『移り』に成功したことはない。

(どうする・・・・)

 間合いを取りつつ戦う術を模索する。

(あいつはどうすんだ・・・・)

 動きを止めることなく目だけを氷雨の方に向けてみる。

 氷雨は二匹の業を相手にしながらも、まだまだ余裕の表情を見せている。

 氷の刃で触手を切り裂きながら、何かを伺っているようにも見える。

(何だ・・・?)

 氷雨だけに集中しないよう気を張りつつ、朔は氷雨の左手に氷の粒が集中しているのを見た。

 巧みに攻撃を躱す氷雨に、二匹の業が同時に触手を伸ばす。

 氷雨はそれをすんでの所で切り裂き躱すと、氷雨は左手を一匹の業に翳し高らかに叫んだ。

「釘氷!」

 叫びと共に氷雨の左手から鋭く尖った氷の群れが業へ向かって飛んでゆく。

 攻撃を仕掛けたばかりで動きの止まっていた業は避けることが出来ず、体中に釘のように研ぎ済まれた氷を受ける。

「ギュァァァァァァァァ!」

 耳障りな悲鳴と体液を飛び散らせ、一匹の業はじゅくじゅくと腐る様にして消えてゆく。

(・・・・・・・)

 初めて氷雨の『氷刀』以外の力を見た驚きもあったが、勝機が見えたことに多少の興奮を朔は覚えた。

(攻撃をしてきた直後だ・・・・硬直して隙が出来る。そこに叩き込めば・・・)

 しかし自分には氷雨のような遠距離攻撃できるような力はない。

(リーチが必要だな・・・)

 勝機はあるのに、それを達成する術が見つからない。

 ジレンマに多少苛つく朔に氷雨からの叱咤が再び飛ぶ。

「逃げ回ってばかりでは倒せないぞ、御鏡!」

「うるせぇ、その倒す方法考えてんだよ!」

 感情がすぐに外に出る朔が大声で返事をするも、氷雨は冷静な声で返答を返す。

「恐れていないで、間合いに入り込んだらどうだ。」

 そう言うと氷雨は軽やかに業の攻撃を躱すと、一気にその下へ走り込んだ。

 その動きは速い。

 残像すら残っている。

 触手を伸ばしたばかりで動きが停止したその身体に、氷の剣が勢いよく突き刺される。

 金切り声を上げ、二匹目の業は溶けていった。

「こんな風にな。」

 さも当然と言いたげな涼しい顔で氷雨が言う。

「簡単に言ってくれるぜ・・・」

 まだ力を使いこなせない朔の身体能力は、普通の人間を上回っているとはいえまだまだ未熟なものだ。

 殆ど使いこなしていると言える氷雨のように、神懸かり的に動くのは不可能だ。

(何か・・・武器があればいいんだけどな・・・)

 そんな考えが頭をよぎった時、いつだか翼に言われた言葉を思い出した。

『結局私たちの力は想像力に比例するの。イメージを喚起し、それを具現化させる。大切なのはイメージ。そして言霊よ。言葉には力がある。思い、願い、口にする。それが力になるわ。』

(イメージ・・・・)

 武器のイメージ。

 しかし何がいい?

 剣か?槍か?それとも弓矢か?

『自分の力に適したイメージの方が具現化しやすいし使いやすい。あんたの場合は、闇から連想されるもの、それが一番適してる。』

 闇。

 闇から連想されるもの?

 ・・・・・・

 走りながら朔は手に武器を持つイメージを起こし始める。

 闇、闇、闇・・・

 それは長い柄を持ち、鋭利な刃を持った・・・

『言の葉に、思いを込めて。』

「出てこい、死神の鎌よ!」

 その刹那、闇が収束し形をとる。

 朔の身長程はある長い柄に、漆黒の刃を付けた巨大な鎌。

 それはまるで魂を狩る死神のそれのようだ。

「いいぜ、よく出てきた・・・」

 長い柄をしっかりと持つと、大きく振りかざす。

 伸ばされた触手を躱し、業との間合いを詰める。

 朔の黒い腕が勢いよく振り下ろされた。

「くたばりな化け物、あの世でFUCK、FUCKとでもほざいてやがれ!」

 鋭利な鎌が業の身体を切り裂いた。

 体液が飛び散り腐敗臭が立ちこめる。

 やがてその身体は臭い煙を立てて消えていった。

 

 夜風が少し異臭を掻き消し始めた。

 肩で息をする朔に氷雨が声を掛けた。

「武器の具現・・・『焼刃』、か。もうそんなことまで出来るとはな・・・正直驚いたな。」

 朔の息はまだ落ち着かない。

「武器は鎌か・・・確かに、闇のイメージには合っているかもな。」

 朔は一度深く息を吸い込むと、面を上げ天を仰いだ。

「御鏡・・・?」

 なかなか返事を返さない朔を怪訝に思い、名を呼んだ。

「・・・足りねぇな・・・」

 風に掻き消されそうなぐらいな小さな声で朔は言った。

「何?」

「足りねぇ・・・足りねぇよ。もっと・・・もっとだ・・・」

「・・・・・・」

 朔の目が爛々としていることに氷雨は気付き、息を飲んだ。

 狂気の証だ。

 適度な緊張と、屠るという行為。

 それが朔を狂気の渦へと運んだのだ。

「血だよ。死だよ。もっと、もっと殺したい・・・もっと、もっとだ!もっと、もっともっともっと!」

 裂けんばかりに口をつり上げて朔は笑う。

 その姿を見て氷雨は言った。

「惨めだな・・・」

 明らかに軽蔑の意が込められている。

「あぁ?」

 未だ正気の色の宿らぬ目を氷雨に向ける。

「殺すために戦うのか?」

 そこまで言うと氷雨は朔に背を向け歩き出した。

「殺すために戦うのか?」

 そう言い残した氷雨の姿は下階へ消え、屋上には朔だけが残された。

 誰もいなくなったその場所で、狂人は気が済むまで笑い続けていた。






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