第三章 老人は斯く語りき
old man tells the legend
「散る桜を惜しいと思うのは、きっと私が老いたからだろう。」




 空はどんよりと暗い。

 窓から見える景色は灰色だった。

 空を占める薄暗い雲。

 世界を仄暗く染めていた。

 誰もいなくなった教室に、朔は一人そこにいた。

 時刻は既に六時になろうとしている。校舎のほとんどが明かりを消していた。

 朔は自分の机に突っ伏して静かに寝息を立てていた。

 がらがらと音を立て、教室の戸が開いたが、朔は目を覚まさなかった。

 二人の女子が入ってきた。一人は縁なしの眼鏡を掛けたおかっぱ頭の少女で、広い額が印象的だ。もう一人はすらりとした長身で艶のある黒髪が腰まで伸びていた。

 二人は教室の隅で寝ている朔の姿を見ると顔を見合わせ、その傍まで寄ってきた。

「おーい、御鏡ー。起きろーい。」

 おかっぱ頭の少女が腰に手を当てながら声を掛けたが、朔が起きる気配はなかった。規則的な呼吸を続けている。

「だーめだこりゃ。完全に寝てるよ。どうするね、ユユ。」

 少女は肩をすくめるリアクションをとると、隣の少女に声を掛けた。

「起こさないわけにはいかないでしょう。西本先生からそう言われているわ。」

 ユユと呼ばれた細身の少女は前髪をかき上げながら答えた。

「うーん、しょうがないなぁ。おーい、御鏡ー、起きろーい。」

 おかっぱ頭の少女は今度は朔の身を揺すって起こし始めた。

「んーっ?」

 揺すること数回、眉間に皺を寄せながらむくりと朔は上体を起こした。目を細めたまま辺りを見回し、二人の少女をようやく認識する。

「委員長に・・・・・、弓削か。二人して何してんだ。」

「君を起こしに来てあげたのよ。感謝しなさいな。」

 委員長と呼ばれたおかっぱ頭の少女が再び腰に手を当てながら飄々と答えた。垣根翼、朔のクラスの委員長である。クラスメイトたちから不良と認識されている朔に対し、少しも怖がる様子もない。

「んー?へーへーご苦労さん。マジ感謝。コンゴトモヨロシク。・・・・これでいいか?」

 機械的に口を動かし答える。

「何か、むかつくね。」

 感情の込められていない朔の返答に翼は眉を上げた。

「わざわざ起こしに来てあげたのにその態度はなに?もう少し感情込められないの?」

 指を立たせながら朔に問いつめる。教師でさえ朔にこんな事をする人物はほとんどいない。

「あぁ?礼は言ったろうが、突っかかってくんじゃねーよ。だいたいわざわざって言うぐらいなら来ることねーよ、バーカ。」

 眠りを妨げられたのが不愉快で普段よりも口が悪くなっていた。そしてそれは翼の気分を害したらしい。眉間がピクピクと動いている。

「私もね、気持ちよさそーに寝ている君を起こしたくはなかったのだよ。でもね、西本先生に頼まれては仕方がなかった訳よ。だから悪いなと思いつつも起こしというのに、君は私のそんな気持ちを少しも汲み取ることなくそんなことを言うなんて。あぁ、何という不条理。信じられないね。」

 まるでサラリーマンの上司が部下の失敗をねちねちと責めるような言い方だった。

「わーるかったな気付きませんで。今度頼まれたときは断るこったな。だいたい何でお前等が頼まれんだよ、職員室行かなきゃいいだろうが。」

 感情が逆撫でされ朔も売り言葉に対して買い言葉を返す。青筋が浮かび上がっていた。機嫌は相当悪いらしい。

「随分無理なことを言うね、君は。発想も幼稚だし。だいたい委員長の私が職員室に用事があったとしても何ら自然な事じゃない?まぁ今回はたーだだらだら教室で寝ていた誰かさんと違って質問に行っていたんだけどね。」

 勢いに任せていた朔に対して、翼の言っていることは理にかなっている。加えていちいち朔を挑発するような言い回しをするため朔の頭には血が完全に上りかけていた。

「こんのぉ、アマぁっ!」

「少し落ち着いたら、二人とも。」

 良く響く、澄んだ声が二人の間に割って入った。

「う、弓削・・・・・」

「ユユ・・・・・・」

 静かだが、威圧感の込められた声に二人は黙った。

 弓削百合子。朔や翼のクラスメイト。整った顔立ちとクールな振る舞いから男女をとわず人気が高い。朔と普通に話せる数少ない人物の一人だ。

「ケンカするほどのことでもないでしょう。」

「でもさぁ、ユユ。こいつにはいっぺんがつーんっと言ってやんなきゃ。誰も何も言わないからって絶対調子に乗ってるって。」

 翼は百合子の切れ長の目に睨まれ急に媚びだした。変わり身は早い。

「なんだと。」

「御鏡君。」

 再び喧嘩腰になった朔に、その切れ長の目を百合子は向けた。

「な、何だよ・・・」

 朔も百合子に睨まれると言葉に詰まる。

「輝更ちゃんは元気?」

「なっ!」

 予想しなかった言葉だった。冷静さを失い再び頭に血が上ってくる。

「顔が赤いわよ。どうしたの?」

 百合子の口元は笑みが含まれている。からかっている顔だ。

「やーい、ロリコンシスコン大変態。」

 百合子の影から翼が罵声をかけている。情けない格好だが無性に腹が立つ。

「う、うるせぇ、バーカ!」

 朔は鞄を乱暴に持つと、机に何度かぶつかりながら教室を出ていった。

「あの顔、見た?ユユ。あんた結構やるわねぇ。」

 翼は朔の滑稽な姿が見られて大満足のようだ。腹を抱えながら苦しそうに言った。

「少し意地悪だったかな。輝更ちゃんのこと出したのは。」

「構わないわよ。私、あいつ見てるとむかつくんだ。何にもしてない、あいつが・・・」

 すまなそうに開けっ放しにされた戸を見ていた百合子に対し、翼は真剣な顔で朔に対する嫌悪を吐き出した。

「彼も、いずれ目覚めるわ。そうなったら・・・・・」

「わかってる。わかってるんだけど、ね。」

 呟くように言いながら、ふと百合子の顔を覗き翼は気付いた。百合子は、とても悲しげな顔をしている。

「ユユ、あんたまだ・・・・・・」

 翼は何も言わず百合子を抱きしめた。身長差があって少々不格好だったが、そんなことは関係なかった。

「やっぱ、私あいつがむかつくよ。あんたのこと、こんなにしたんだから・・・・・」



 薄暗い廊下を抜け、朔は校舎の外を歩いていた。

 プレハブ作りの建物の並ぶ部室練、その角、ちょうど学園敷地内の北西の隅に朔の目指す所はあった。

 他の部室が簡易ドアと窓だけなのに対し、その建物にはシャッターがあり、大きさも他のものより大きかった。

 シャッターは今開け放たれており、その中が見える。機械油にまみれた工具と、スペアタイヤ、そして今となっては何だかわからないパーツの山の中に真っ赤なボディのバイクが立ててあった。

(リョウさん、いるんだな。)

 知人の愛車があるのに気付いたが、朔は今日はそこに用事はないのでシャッターの隣、プラスチックの札のつけられたドアの前を通り過ぎた。

 札には二輪研究会と書かれている。

「サク。」

 ドアが開き、そこから出た来た男が、プレハブ裏に止めた自分のバイクの元へと行こうとしていた朔に声をかけた。

「リョウさん。」

 朔の前には、油で汚れた作業着を着た大柄の男が立っていた。

 髪は短く坊主頭。もみあげの辺りから顎にかけて髭が生やされている。袖まくりで露出した腕は筋肉質で太い。首には赤いタトゥーが彫ってあった。

 琴里燎士、朔の一年先輩であり、この二輪研究会の会長でもある。また、朔の従兄弟でもあった。

 厳つい顔をしているが、根は優しいことを朔は知っていた。

「今日はどうした。顔出してくのか?」

 朔は二輪研究会の会員であり、去年発足したばかりのこの愛好会の創設メンバーでもあるが、滅多に活動に参加することはなかった。あくまで愛好会としての活動には、だが。つまり、いわゆる幽霊部員である。

「いや、今日は・・・・・」

「お、サク先輩。」

 用事がある、と言おうとした朔の言葉は燎士の後ろから出てきた少女によって遮られた。

「ここで会うのは久しぶりッスね。部活、出ていくんスか?」

 少女は体育会系の調子で、身長差のかなりある朔の前に立った。

 髪は金色で、男物のワックスで固めたのか女性としては短い髪はツンツンと立てられている。

 両耳には幾つものピアスがつけられ、唇にも一つ、銀色のピアスがつけられている。

 燎士と同じくつなぎの作業着を着ていたが、上半身の部分は腰に巻き、派手な黄色いシャツが目立った。口に出しては言えないような過激な文が、英語でみっちりと書き込まれている。

 自由な校風で有名な、ここ、勤労会・聖陵学園でも、彼女の格好はかなり目立つものだった。

 少女の名は飛世真由。高等部一年で朔の後輩に当たる。燎士や朔と同じく二輪研究会のメンバーだ。

「今日は用事がある。悪いな。」

 先程真由によって遮られた言葉を、彼女と燎士に対して答える。

「先輩は“昼間”の活動にはほとんど出ないッスもんね。」

 真由は金色の髪をねじりながら言う。

「俺もお前が部活に出ることは期待してないさ。」

 燎士も油で汚れた軍手を外しながら、笑みを浮かべた表情で言った。

 二人とも別段部活に出ない朔を咎める様子もない。

「じゃあ、俺行くんで。」

 朔は二人に背を向け、プレハブの裏へ回ろうとした。

「ああ、御老体をあんまり待たせるなよ。」

 先程から二人の話を聞き流していた朔は、燎士の言葉に手を挙げて応えた。

(?)

 ふと、その燎士の言葉の意味が気になり後ろを振り向いたが、二人は既に部室へと入った後だった。

(リョウさん・・・・・・何で知ってるんだ?)



 プレハブ裏に止められた自分のバイクのチェーンを外す。

 883CCの黒いハーレー、通称パパサン。

 番号錠の数を合わせる。かちっ、と音が鳴り車体と近くにあった木を繋げていたチェーンが外れた。

 スタンドを戻し、サドルに跨る。朔は車体に置いたままだったヘルメットを被った。

 キーを挿し、回す。エンジンが唸り音が響いた。調子は良好だ。

 本来生徒達の駐輪場は校門の脇に設置されているが、朔は他の部員達と同じくこのプレハブ裏に止めていた。

 もはや歩く者はまばらとなった敷地内にそのエンジン音を響かせ、朔は学園を出た。

 勤労会・聖陵学園。

 自由な校風で有名な、高い進学率を誇る私立学園。

 広い敷地内には中等部、高等部二つの校舎を持ち、それぞれのグラウンドや体育館も存在する。設備も十二分に揃えられていた。

 また、自由な校風でも有名で、生徒達にはかなりの自由が与えられている。髪を染めている者やピアスをしている者、カラーコンタクトをしている者などが多くいるため、朔の赤目もさして目立つことはなかった。

 勤労会と呼ばれる大企業四社の提携した機関から多大な融資を受けて立てられたこの学園は、その勤労会の近年の営業方針の一部らしい。

 少子化が進むなか、一人の子供に多大な教育費を掛ける近年、学校運営は大きな利益を見込めるビジネスだ、ということだ。

 そのため、私立校の少ない地方に大規模な学園建設が進められており、この聖陵学園もその一つだった。

 ただ、それは朔にとって大した意味を持ってはいなかった。

 まだ、この時は。



「瑞希さん、目標、出てきますよ。」

 黒の外国産車の広い車内の中、何かの装置に繋がったヘッドホンをつけた一人の男が、隣に座る女性に声を掛けた。

「そう。いつも通り、先に行ってもらってその後を追うわ。ところで・・・・・・何度も言うようだけど私は今はブルーよ。名前を呼ばないで。」

 良く梳かれた髪をした、きつい目をした女がそう答えた。

 均整のとれたプロポーションを、黒いスーツで包んでいる。

 女は切っていたエンジンを掛けた。

「ああ、すいません。まだ慣れてないんで。」

 男は素直に頭を下げた。

 女と同じく黒いスーツを着ている。

 開襟シャツと無造作な感じのする髪型がどことなくラフな感じだったが、顔のほとんどをサングラスで隠していた。

「早く慣れて欲しいものね。」

 女は静かにそう言うと、一大の黒いバイクが傍を通り過ぎるのを確認してからゆっくりとアクセルを踏んだ。



 バイクで風を切りながら、朔は先程のことを思い出していた。

(何でリョウさん、「ご老体を待たせるな」、なんて言ったんだろう・・・・・)

 朔は今から、とある老人と会うことになっていた。

 以前から決まったいたことではなく、昨夜急に決まった予定だ。

 それに、今日は部室前で会うまでに燎士には会っていない。

 又聞きの可能性もない。誰かに言った記憶はなかった。

 もちろん、昨夜支度に掛かってきた電話である。家族には言ったが、それが燎士の耳まで届くのは考えにくい。

(なんだかなぁ。爺さんといい、リョウさんといい、何か胡散くせぇな・・・・)

 朔は昨晩のことを思い出していた。

 それは、輝更と廃工場連から戻ってきた後、夜になって再び出かけた朔が、“夜の部活動”から帰ってきたときだった。

   車庫にはもう、晴海とみのりの車があった。

「ただいま。」

 おそらく朔のために鍵の掛けられていなかった玄関を開け、家の中に入ったときだった。

「あ、ああ、今帰っていました。・・・・・・ハイ、すぐ替わります。」

 みのりの声が聞こえてきた。他の二人の声は聞こえないので、電話なのはすぐにわかった。

「サク、電話よ。」

 夜も更けた時間になって帰ってきた朔を咎めることなく、みのりはリビングから顔を出して言った。

「誰?」

「下のおじいさん。」

「ん?なんだろ・・・・・・・」

 下のおじいさん、それは立花台と立花町の丁度あいだ、丘を上った中頃にある穂村神社の神主、児雷也のことであった。

 朔とは親戚関係である児雷也とは、正月や盆といった年間行事以外にも、近くに住んでいることからよく会うことがあった。

「何だ爺さん。」

 朔は受話器をみのりから受け取りそう言った。

「朔か、元気そうじゃな。」

 受話器を通して児雷也のがらがら声が聞こえる。

「なんだこんな時間に?」

「この時間ならお前でも起きていると思ってな。」

 ふと朔は時計を見た。十二時になろうとしている。

「いくらなんでも、な。用事は何だ?」

「そうせかすな。明日は暇か?」

「一応学校があるけど、その後は。」

「ならちょっと来てくれんかのう。手伝って欲しいことがあるんじゃ。」

「・・・・・何を?」

「来てみればわかる。」

「・・・・・・」

 要領を得ない児雷也の返答に朔は黙った。

「なに、バイト代は出す。お主が納得する量はな。」

「力仕事は御免だぞ。」

「なに、お主に適した仕事じゃ。明日、待っておるよ。」

 そう言って児雷也は朔の返答を待たずに切ってしまった。

(何だ?あの爺さん・・・・・・)



 バイクを走らせること約十分。立花町の町中を抜け、朔は丘の麓まで来ていた。

 周りの住宅から離れたところに竹林が見える。そのすぐ傍に、瓦屋根の児雷也の家が見えた。

 バイクを庭に止め、ヘルメットを脱ぐ。丁度児雷也が縁側から出てきていた。

「よく来たのう、朔。」

 かっ、かっ、かっ、と笑いながら着物を着た児雷也は言った。

 白髪はもうずいぶんと薄くなり、顔も皺だらけであるが、目には生気が溢れ、ぎらぎらと光っていた。

「用って何だ?」

 ぶっきらぼうに朔は言った。あまり朔はその眼が好きではなかった。

「準備がいることでな、先に社の方へ行っていてくれ。」

 袖に手を入れた格好で、児雷也は踵を返そうとした。

「そう言えば爺さん、リョウさんに会ったりしたか?」

 朔は先程気になっていたことを聞いてみた。

「リョウとは燎士のことか?孫がどうかしたか?」

 一瞬ぎょろりと目を開き、児雷也は振り返った。

(ああ、そうか。) 

 しかしその事に朔は気付かず、疑問が晴れたことに一人納得していた。

(そうだ、リョウさんは爺さんの孫だったな・・・・・・・どうせリョウさんに頼んだのを断られて俺に頼んだってところか。この性悪爺のことだ、『バイト代を出すと言ったら朔がやってくれるそうじゃ。』とか言ったんだろ・・・・・)

 その場面がありありと思い浮かぶ。

「いや、なんでもない。社だな。」

 朔はそう言うと、庭を出て、竹林の坂道を上っていった。

 丘の傾斜に作られた小さな社は、周りには鳥居さえなく、その代わり沢山の墓石に囲まれていた。

 元々磐城市のほとんどの家が神教であったため、神社に墓石があることはさして珍しいことではない。朔は墓が脇に並ぶ急な階段を上がっていった。

 階段を上りきると、頭上を覆っていた竹がなくなり、曇った空が見えた。

 丘の傾斜の丁度中腹辺り、竹林の開けたところに小さな社がぽつんとあった。

 敷き詰められた砂利を、息を荒くしながら朔は踏みしめた。

(勾配が・・・・・・急だっての・・・・・・)

 日頃の不摂生がたたり、朔は肩で息をしながら歩いていた。

「ふぅ。」

 一段高くなったところに社はある。そのため作られた階段に、朔は座り込んだ。

 息を整えながら空を仰ぐ。

 淀んだ空は重く暗い。

 日が沈んだのかすらわからなかった。

「ふぅ。」

 再び溜息をつくと、朔は鞄から煙草を取り出した。

 火を付け、大きく息を吸う。

 フィルター越しに、足りない酸素が体へと取り込まれてゆくようだった。

「若いもんが、煙草など吸ってるでない。」

 長くなった灰を捨てようとしたとき児雷也に声を掛けられた。大声に驚いたため、灰は地面に落ちてしまった。

「でかい声出すなよ。」

 制服に付いてしまった灰を払いながら朔は立ち上がった。

「で、俺は何をするんだ?」

 見ると、児雷也は神主の格好に着替えていた。

「まずは中に入れ。」

 児雷也は朔の問いには答えず、社の戸を開け中に入った。

「俺が入ってもいいのか?」

 朔は一応聞きながらも、返事を待たずにその後に続いた。

 畳み張りの小さな室内。簡素な神棚が、申し訳程度にあるだけだ。

「狭いな。ここで何かするのか?」

「そうとも言える。まぁ正確に言えば違うがの。」

 児雷也はそう言うと、丁度室内の中心に敷かれた畳を返した。

 そこには、不可思議な紋様の描かれた板の間があった。紋様の周りに過くぼみがある。児雷也はそこに手を掛けた。そして、ゆっくりとそれを持ち上げる。

「正しくはこの中じゃ。」

 紋様を退かされたそこには、底の見えない穴が顔を覗かせていた。

「あれ?おかしいな・・・・・・・」

 サングラスを掛けた男は、車内に設置された機械を訝しげに見ながら呟いた。

「どうかしたの?」

 隣に座っていた女が言う。

「何か、急に音がとれなくなって・・・・・・」

 男はそう言いながら、何かのスイッチを入れたり切ったりしている。

「直前まで何を話していたかわかる?」

 焦る男とは対照的に、女は冷静に言った。

「どうやら社の中の地下に入るだとか入らないだとか・・・・・・・そんな話です。」

「地下に入られたかしらね・・・・・・・・」

 女は初めて表情を変えた。やられたという顔をしている。

「でも地下に入った位じゃ、こんな事ないはずですよ。」

 男は完全にお手上げだと言うように、ヘッドホンを外した。

「結界・・・・・・・・」

 女の呟きは、そんな男には聞こえはしなかった。

 暗い、真っ暗なところを朔は歩いていた。

 紋様の下から現れた穴には梯子が掛けてあり、それを伝って下りてきた。

 自分は一体何をしているのだろう、そんなことが頭をよぎる。

 しかし想いとは裏腹に、体はずんずんと、まさしく一寸先すら見えぬ闇の中を歩んでいた。

 あの、穴を見た瞬間。

 なぜか、その奥へと行かねばならないと思った自分。

 理解し得ない感情だった。

 驚きの後にわき上がってきた、懐かしさにも似た感覚。

 児雷也に言われるまま、何も言うことなく梯子を下りてきてしまった。

 ずいぶんと長い梯子だった。

 それを下り始めると、すぐに外の明かりは届かなくなった。

 完全に視界が閉ざされ、時間の感覚もあやふやになってゆく。唯一わかるのは自分の周りは岩であるということ。これは、穴に入る直前に確認できた。

 一体どれほどの時間梯子を下りていたのか、ようやく朔の足の裏に梯子とは違う感覚が伝わった。

 やけに堅い。それに音が響く。

 辺りを見回したが、何が見えるわけでもない。

(洞窟、か?)

 しかし、朔はそこが一体どんなところなのかかんとなくわかった。

 見えるのではなく、感じるのである。一体どんな物が、どこにあるのか、を。

(周りを石で囲まれた、空洞。・・・・・・そっちに続いているな・・・・・・・)

 自分の右手側に洞窟が続いていることを感じた朔は、自分の後を下りていた児雷也を待たずに歩き始めていた。



 地下道を歩き始めてから、朔は自身の感覚が研ぎ澄まされてゆくのを実感していた。

 たまにある、頭にぶつかりそうに飛び出た岩も、数メートル先から認識できた。常人では、幾度も転びいくつも瘤を作りそうなこの真っ暗な地下道を、朔は至って普通に歩いていた。

 一体どれほどの時間歩いたのだろう。地下道は緩やかな下り坂となっていた。螺旋を描くように地下へと続いている。一体どれほど深く潜ってきたのだろう。

 そんなことを頭の片隅で想いながらも、朔は何かに引き寄せられるように、衝動に駆られるまま歩いていた。

 そして辿り着いた。

(何だ?行き止まりか?)

 朔がそれを関知したのは、もう十数メートル先からであった。もはや見えているのと同然と言えるほどにまで、朔の不思議な感覚は達していた。

(いや、違う。扉?木製の、両開きの扉・・・・・・・鍵が付いているな、でかい、南京錠・・・・・・)

 頭をぶつけぬよう腰を屈めながら朔はその扉へと近づいた。戦国時代の城門のような扉だ。

 感知していた通り、扉には幾重にも巻かれた鎖に大きな南京錠を付け、完全に閉ざされていた。

 朔は鎖を見てみた。実際には全く見えないのだが、錆び付いて茶色く変色していることがわかった。

 引き千切ろうと力一杯引っ張ってみたが、鉄の擦れる音が地下に響くだけであった。

(どうしたものかね・・・・・・・)

 手に付いた赤錆を制服の裾で払いながら考えてはみたが、良い考えは浮かばない。

 急にすることのなくなった朔は煙草を吸い始めた。ライターの火で辺りが一瞬照らされる。それは朔の感知道理の光景だった。

 深い闇の中、煙草の火だけが唯一の明かりだった。

 まるでいつもの“悪夢”を見ているような錯覚を朔は感じた。

 何も見えぬ闇に溶け入った自分、そして輝更の現れる小さな光。

 いつもは嫌悪しか感じぬ“悪夢”のフラッシュバックを、この時さして気にもとめていない自分に気付き朔は苦笑した。

(どうかしている・・・・・・・)

 苦笑いを浮かべ目を閉じた朔の耳に、足音の響く音が届いた。

 だんだんと、音は大きくなってゆく。それに混じり、何かがぱちぱちと弾ける音が響いてきた。

 おそらく児雷也が来たのであろう。

 朔はそう思い目を開けた。遠くに煙草の火とは比べものにならないほどの明かりが見える。児雷也の持つ松明であった。

「ずいぶんと待たせてしまったようじゃな。」

 児雷也は朔のすぐ傍まで来ると、彼の足下に捨てられた煙草を見てそう言った。

「ここか?」

 朔の問いに頷くと、児雷也は懐から鍵を取りだしそれを錠前へと差し込んだ。

 かちりと鍵の開く音が響く。児雷也は錆が手に付くのにも構わず鎖と共に巨大な南京錠を取り払った。

「この中じゃ。」

 児雷也はそう言うと、松明を扉の脇にあった横穴に差し込んだ。

 白い煙が穴から漏れ、やがて火が消えたらしく辺りは再び完全なる闇に包まれた。

「先に入るとよい。」

 児雷也の言葉に促され、朔は扉へと手を掛けた。 

 体重を掛けると、ゆっくりと扉が開いてゆく。軋みの音が辺りに響いた。

「ここは・・・・・・・」

 扉を開き二、三歩中に踏み入れた朔が声を漏らした。先程以上に声が響く。

 扉の内側は巨大な空洞となっていた。面積は社の中とほとんど変わらないが、驚くほどに高さがある。今の朔の感覚でも天井が認識できない。

「地下三十メートル、といったところじゃったかな・・・・・・・」

 朔の後に続いて吐いてきた児雷也がそう言った。その後ろで扉の閉まる音が響く。

 扉が完全に閉まると、空洞の中の闇が濃さを増したように朔には感じられた。

「何かの祭壇なのか?」

 空洞の中心に祭壇があることに気付き朔は言った。

 歴史を感じさせる、色の変色した神棚。

 そこには神酒と榊が祀られている。

 そして、一枚の札の付いた岩。

 それは底に食い込むように突き刺さっている。岩の周りの床はひび割れていた。

 札には一文字、『楔』とだけ書かれていた。

 無限の闇の中。

 不思議な光景だった。

「ほう、やはり見えるのか?」

 児雷也の得意げな声が聞こえる。

「いや・・・・・・見えてはいないんだがな。」

 朔は大きく息を吸ってからそう言った。空洞の中に漂う重圧に、押しつぶされそうな不安を感じる。

 祭壇から発せられる緊張した空気が、ぴりぴりと痛い。

 朔は静かに息を呑む。背中に鳥肌が立つのを感じていた。

 全身を襲った寒気に、朔は身震いをしていた。

 異様さがその闇を満たしていた。

「おい、まさか邪教の手伝いでもさせる気か?」

 そう言って朔は振り返る。見えはしないがそこに児雷也がいることは感知できる。

 児雷也は眉を吊り上げた顔をしていた。

「邪教とは失礼なことを。密教と言って欲しいのう。」

 少なくとも児雷也のその言葉は朔を驚かせた。ほんの冗談のつもりだったからだ。

「邪教だろうが密教だろうが、こんなオカルトじみたことを手伝う気はないぜ。」

 しかし平静を保ちながら、朔はそう言うとこの空洞から出ようとした。早くこの異様な空間から逃れたい、その思いで一杯だった。

 そんな朔に児雷也は言った。

「運命からは逃れることは出来ぬよ、朔。」

「なに?」

 意味深な言い方が気に障り朔は振り返った。児雷也の口元に薄く笑みが浮かんでいる。

「運命からは逃れられぬ。そう言ったんじゃ。」

(気でも触れたか?)

 運命という言葉。使い古された、くたびれた言葉であるが、こんな気味の悪いところでなぜこの爺はそんなことを言う?

「運命とか、そういうのは興味ないんでね。俺は帰るぜ。こんな薄気味悪いところはな。」

「帰る、ここをか?」

 わざとらしい言い方一つ一つが朔の気に障る。

「ああそうだ。悪いか!」

 ついつい大声になってしまった朔の声は空洞に響き何度も木霊し、やがて聞こえなくなった。

「それは嘘じゃな、朔よ。お主はな、この場の雰囲気に気押しされただけじゃ。人間としての、正常な人間としてのごくごくまともな反応じゃ。じゃがな、お主、自分の心の声を聞いてみい。本当のお主は・・・・・・・」

 児雷也の目がぎょろりと見開かれる。

「ここが心地よくてたまらないじゃろう?」

「なっ・・・・・」

 何を言うのかこの爺は、一瞬そう思った朔であったが反論の言葉が出てこなかった。

 それは、その言葉が的を射ていたからである。

 ここに入ったときから、いや、正しくはこの洞窟には行ったときから感じていた懐かしさ、そして奇妙な安心感。児雷也の言うとおり、ここはなぜか心地よい。心の奥底がそう言っている。

「それにな、朔。おかしいとは思わなかったか?お主はなぜ明かりすら持たずここまで何の苦もなく来れた?なぜ見えもしないのにここが祭壇だとわかる?なぜじゃ?」

「それは・・・・・・」

 朔は言葉に詰まった。常人離れした不可思議な感覚。説明をつけることが出来ない。

「お主は普通の人間ではない。神の眷属たる、選ばれし人間じゃ。この儂のようにな・・・・・・」

 児雷也の口元がつり上がったと思った瞬間、彼の体から迸るほどの輝きが発せられた。 紫色の電流、それが児雷也の回りを包み激しく音を立てている。

「儂は稲光る雷の神燵臣の魂を受け継ぐ者。そしてお主、朔よ、汝が万物の創造主、深闇の神斑愈回の魂を受け継ぎし者。そして、虚ろなる神々の器にして我等が主、冥王たる者。」

 ばちばちと凄まじい炸裂音を立てる電流を身に纏い、児雷也が淡々と語る。朔は目の前の光景にただただ圧倒されていた。

「闇の現を統べ、嗚流津乃を敗る宿世を背負いし者、それがお主じゃ、朔よ。いや、我等が冥王殿よ。」

 朔は息をするのも忘れ、ただ目の前の光景を見ていた。理解の範疇を越えた存在に対し、理性が対応しきれず大混乱に陥っている。ようやく口を動かし発せられた声は非常に短いものだった。

「な・・・・に・・・・・・?」

 そんな朔の反応に対し、児雷也は再び語りだした。

「全てを語ろう。歴史の闇に隠されし、我等が宿世の物語を。」

 その声は空洞に重く、そしていつまでも響いた。

「一体何から話せばよいのやら、毎度の事ながら慣れんのう。」

 先程の迸る電流は今はもう収まり、辺りに闇が戻っていた。呼吸すらままならなかった朔が落ち着くのを児雷也が待っていたためだった。

 児雷也は足音を響かせながら朔の前を行ったり来たりしている。地面に座り込んでいた朔はそれを虚ろな目で眺めていた。

(何だ?なんなんだ一体?)

 呼吸は落ち着いたが、全くもって頭の中は整理されていない。今の朔に出来るのは児雷也が話し始めるのを待つだけだった。

「ふむ、やはり真言在陰乃書に乗っ取って伝説から語るとするかの。」

 何かしらの決断をしたらしく、児雷也は朔の方を向いた。

「かつてこことは違うところに神々の住まう常闇の地があった。名を嗚流津乃という。そこには異形の神々と、その奴隷として人が住んでおった。」

 児雷也は静かな声で語りだした。

「奴隷としての人の生活は、それは酷いものじゃった。一生を神々のために捧げ、糧として食われ、時に戯れとして殺される。」

 朔は、そんな児雷也の声をぼんやりと聞いていた。

「そんななか、人々を哀れむ神がおった。名を斑愈回という。」

「ムラユエ?」

 児雷也の言葉に朔が反応した。

「そう、先程出てきたの。まあ今は最後まで聞け。」

 一つ咳払いをし、しきり直しをした。

「斑愈回は人々を嗚流津乃から連れだし長い時間彷徨った。そして、何も無き虚無の世界へ辿り着いたのじゃ。そこで斑愈回は己の体を持ってして世界を作った。大地、海、風じゃ。それぞれが出来たときに同時に新たな神が生まれての、ああ風は違ったか、それは連れてきた鴉じゃが、それぞれ豊穣たる大地の神琥武亜之皇子、流れ行く水の神沙耶姫、去りゆく風の神惟倭王という。」

「まるで・・・・・・古事記だな。」

 現代とは全く違った名に歴史を感じた朔が言った。

「鋭いのう。このことの書かれた、最も古い書物はそれと同時期と言われておる。」

 児雷也の返答に朔は絶句した。

 児雷也の顔は冗談を言っているようには見えない。

「・・・・・・・」

「皇子と姫との子が産まれ、斑愈回はその子を世宮螺と名付け繁茂する樹木の神にした。嗚流津乃から持ち出した火からは不滅なる炎の神不悪辺之皇女が生まれ、惟倭王との間に子を産みそれは稲光る雷の神燵臣とした。斑愈回は更に火の光りから弱光の神伊於呂子を生み出し、自らは深闇の神となったのじゃ。真言在陰乃書に書かれた、天地創造の話じゃ。」

「・・・・・・眉唾だな。」

「なに、すぐに信じる必要はない。」

 児雷也はかっかっと笑って言った。

「斑愈回は人を愛する神であったが、やはり嗚流津乃の者、人喰らいの性を持っておってな、それを酷く気に病んだ。その時伊於呂子が言ったじゃ、柱の性は嗚流津乃の闇から来るものであり、私ならばその性を抑えることが出来ると。そこで斑愈回は己の力を伊於呂子に分け与え旭光の神とし妻とした。」

「自分の子供を妻とした、か。神話ではありがちだな。」

 朔のその言葉を聞き、児雷也はにやりと笑った。

「まぁそうじゃな。話を続けるぞ。斑愈回によって作られた世界で人々は幸せに暮らした。面白くないのは嗚流津乃の神々じゃ。彼らは人の世に攻め込んできた。斑愈回たち八神はこれらと壮絶な戦いを繰り広げた。五日六晩、人智を絶する戦いの果て、七日目の朝伊於呂子の放った一閃により大打撃を受けた嗚流津乃の軍は撤退。神々の勝利で戦いは終わった。」

「今度は聖書みたいだな。」

「戦いには勝ったが、神々は完全に疲弊しておった。」

 余裕を取り戻してきた朔の揶揄には耳を貸さずに児雷也は話を続ける。

「再び攻め入って来るであろう嗚流津乃の軍はきっと更に巨大なものとなる、そう考えた神々は人々の胎へと宿ったのじゃ。」

「ハラ?」

「言うなれば子宮じゃ。腹の中にいる子供という器に神々の魂が宿ったのじゃ。」

「なんで?」

「まあ言うなれば、人の繁殖力を利用して神々の力を持つ戦士を量産しようとしたわけじゃ。」

 なるほど、と、妙に納得できる返答に朔は頷いた。

「時は過ぎ、再び嗚流津乃との戦いが始まった。戦況は圧倒的に神々の眷属たちの優勢。嗚流津乃の軍勢を、奴等の出し門まで追いつめた。しかし・・・・・・」

 しばし空洞に沈黙が訪れる。

「斑愈回の魂を持った者が発狂、仲間まで攻撃し始めたのじゃ。」

「発狂?なんで・・・・・」

「斑愈回は元々嗚流津乃の神。嗚流津乃の空気、つまり瘴気に当たり、狂気が目覚めたんじゃ。」

「それで・・・・・どうなったんだ?」

 朔が相槌を打つ。

「伊於呂子の魂を持った者が輝きによってその者を救ったとされる。しかしそれで力をほとんど使い果たしての、対嗚流津乃の切り札であったその者が戦線を離脱し戦力は大幅に減。嗚流津乃の軍を逃がしてしまった。」

「・・・・・・・・」

「何か言いたげだが後で聞こう。神々の眷属は誓った、必ずや嗚流津乃を撃つと。そして嗚流津乃は人の力を侮ることを止め、先兵として魑魅魍魎共を送り込み続け、斑愈回の作り上げた世界の滅亡の機を伺い始めた。神々の眷属はそれらの魑魅魍魎共を狩ることもまた誓いとした。その誓いを今に継ぎ、神々の眷属たちによって構成される組織、それを闇の現という。」

 そこで一呼吸置き、児雷也はぎょろりと、目を朔のいる方向に向けて言った。

「お主の統べるべき組織の名じゃ。」

「・・・・・・・・」

「言いたいことを言うがよい。大方の予想はつくしの。」

 じっと、その自分に向けられた視線から目を離さなかった朔は言った。

「そもそもだ、闇の現ってのは何だ?」

「言ったじゃろう、嗚流津乃と、そこから送られてくる魑魅魍魎を屠る事を目的とした組織じゃ。」

「その魑魅魍魎ってのが既に胡散臭い。」

 朔は思っていたことをぴしゃりと言ってのけた。冷静に考えれば戯れ言としか考えられない。頭が冴えてきた今になって考えれば、先程の電流も何か仕掛けがあったと考えるのが妥当だろう。

「そうか、では朔、お主夜空に渦を見たことはないか?」

 その言葉に朔はドキリとした。

「どうやら見えているようじゃの。あれが嗚流津乃の門じゃ。あそこから化け物どもが放たれておる。忌まわしき渦より来る者、名を禍凶と言う。得てして妙な名じゃろう?」

 かかか、と児雷也は渇いた声で笑う。

「何でそんな化け物がいるってのに、回りで騒ぎにならないんだ?まさか『儂たちにしか見えない』とか言うのかよ。」

 児雷也の笑い声が耳に障り、気を悪くした朔はぶっきらぼうに言った。

「いや、普通の者にも見える。じゃが奴等の目的は機を伺うこと、攻め入る機を作ること、故にあまり大きくは動かんのじゃ。あまり人目にはつかん。それに・・・・・」

 再びかかかと笑ってから児雷也は言った。

「誰も信じはせんじゃろう?今のお主のようにな。」

「全くだな。」

 苦虫を噛み潰したような顔で朔は言った。

「それは冗談として、そういったところはしっかりしておる。内調というものを知っておるか?」

 内調、つまり内閣調査室、国家エージェントと呼ばれるものだ。

「ああ、一応。」

「闇の現は内調と組んでおっての、情報の処理を彼らがやってくれる。世に知られないようにな。言うなれば彼等は情報処理部隊、儂等は実行部隊じゃ。」

「・・・嘘だろ・・・・・?」

 話の規模が更に膨れ上がった。

「嘘ではない。更に言えば、その内調の動きが表沙汰にならぬよう、更にはわし等の生活が保障されるよう、政治を裏から操る組織がある。けったいな名じゃが裏内閣と呼ばれておる。」

「・・・・・・」

「経済的なスポンサーもおる。お前の通う学校の、勤労会、あれがそうじゃ。」

「・・・・・・・」

「勤労会は内調、闇の現に対する援助をする代わりに、裏内閣から超法規的な活動を許されておる。持ちつ持たれつの関係じゃな。」 「・・・・・・」

「闇の現、内調、裏内閣、勤労会、この四つを合わせて四条機関という。そのうちお主はそれらの代表たちと会うこともあるじゃろう。」 「・・・・・・」

 朔は既に絶句していた。脳の処理スピードが、話について行けていない。

「他に何か聞きたいことはあるかの?」

 児雷也にそう言われ、一応朔は言った。頭の飽和状態を少しでも緩和しようと、一つずつ処理したい、そう思ったためだった。

「・・・・・冥王ってのは?」

「闇の現が構成されてから、斑愈回の魂を継ぐ者に与えられた名じゃ。創造神斑愈回の力を継いでおるため、組織を統べることになっておる。」

「俺がそうだと言いたい訳か?」

 朔は深紅の目を児雷也に向けた。

 児雷也はまるで、その目が見えているかのように言った。

  「そうじゃ。お主の赤い目がその証じゃよ、朔。」

「目?」

「そう、目じゃ。冥王たる者は、赤い目をして生まれてくる。王たる者の証を持ってな。」

「はっ。」

 朔は鼻を鳴らして笑った。 「それだけで俺をこんな所まで呼んできたのか、ご苦労だな。」

 赤い目、珍しくはあるが、決して特別なものなどではない。

 馬鹿げた話はもう聞き飽きた、朔は今の言葉でそう確信した。

 この爺は狂っている。

 よく狂人の言っていることほど理論整然としているというが、それはどうやら万人に当てはまるものではないようだ。

 出来の悪いホラ話、そんなところだ。

 朔はそう結論づけた。

 ゆっくりと立ち上がり、この真っ暗な空間から立ち去る事にした。

 しかし彼は目を瞑った。渦についての話には。

「無論それだけではないよ。」

 立ち上がり、去ろうとしていた朔に児雷也は言った。

「儂等には見える。お主の内に秘められし、未だ目覚めぬ神の魂が。」

 下らない、朔がそう言おうとしたときだった。

「そして、輝更に執着しておるのもその証拠じゃ。」

「なっ・・・・・」

 輝更の名が出て朔は狼狽えた。

「狼狽しておるの。お主は輝更に妹以上の感情を持ておるはずじゃ。どうじゃ、図星じゃろう?」

 児雷也の言葉に朔は息をのんだ。

 何故、何故知っている?

 その感情は、今までずっと押し殺してきた。

 今まで誰にもうち明けず、心に押さえ込んできた。

 あの日、を除いては・・・・・

 何故、この爺は知っている!

「何故、と言いたげな顔をしているう。」

 児雷也は笑みを消した顔で言った。

「輝更は光りの御子、斑愈回の魂に付き添う伊於呂子の魂を受け継ぎし者。それ故に、お主は輝更を求める。闇の現の者は、皆知っておる。」

「御子?何だ、それは・・・・・」

「言ったとおりじゃよ、斑愈回の魂に付き添う伊於呂子の魂を受け継ぎし者。輝更の金髪碧眼がその証。冥王と御子は求め合う宿世での、転生の度に、二つの魂は限りなく近くに生まれる。時には親子、時には、そう今のお主のように兄妹として。」

「・・・・・・・」

 朔は声が出なかった。様々な思考が渦を巻き、何を言えばいいのかわからない。

「禁忌を侵すこと、それが御子の目覚めの鍵となる。お主の感情は、狂気などではない。冥王として必要なのじゃ。」

 児雷也は朔の方へ一歩近づき、そして言った。

「輝更を犯せ、朔。」




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