V




「人集りね」

 窓の外を眺めていたお嬢様が、呟く様にそんな事を言った。

 ホマートン駅の前まで来てみると、近くに人集りが出来ているのが見えた。おそらく現場はあそこだろう。

 何台か既にパトカーも来ており、数人の警官が野次馬たちに睨みをきかせていた。

「車を停めます、降りましょう」

 すっかり日も暮れた街の風は、すっかり冬の到来を告げるかの様だ。コートを持ってくれば良かったと思うが、ないものをねだっても仕方がない。

「デヴィロットお嬢様」

 人集りに向かって歩こうとした俺達の後ろから、お嬢様の名を呼ぶ声がした。振り向くと、黒服に身を包んだ男が立っている。館で何度か見た顔だが、名前はよく知らない。

「お迎えに参りました」

 男はそう言って、黒塗りのベンツのドアを開ける。どうやらジンデル家からの迎えらしい。

「お嬢様、やはりお帰りになられた方がよろしいのでは………」

 言っても無駄な気もしたが、ドアを開けたまま直立不動の男の為にも一言言ってみた。しかし。

「いいわ。暫くヒルドルフといます。もう帰って結構よ」

 まるで吐き捨てる様にそう言った。男は少し驚いた顔でお嬢様を見た後、俺の方を向く。

「………危険かも知れませんよ」

 銀十字軍直々の、俺達に対しての挑発だ。何かある可能性は、否定できない。

「わかっているわ」

「だったら」

 帰った方がいい、と言いかけた時、意外な言葉が遮った。

「なら、ここで待っているわ、それなら良いでしょう?」

 俺は目を丸くした。もっと我が儘を言って無理矢理にでも付いてくるものだと思っていたが、お嬢様は意外と素直に妥協案を提示した。

 交渉における暗黙の第一原則。それは、相手が妥協したならば自分も歩み寄らなければならない、という事。ここで否定すれば、それこそ駄々をこねられる事になりかねない。

 俺は男と顔を見合わせると、渋々ながら頷いた。

「解りました、では、ここでお待ち下さい」

 そう言って俺が再び人集りの方へ向かおうとすると、

「待ちなさいヒルドルフ」

 呼び止められた。

「危険が迫ったら、ここで待つ事にするわ」

 お嬢様のその自信に満ちた顔が、何故か俺は小憎らしく思えてならなかった。




 人集りを掻き分ける様にして路地の奥まで進むと、何人かの警官が立っており、その後ろには黄色いテープが貼られていた。

「ああ、もう。野次馬なんて品がないわね」

 俺の様に隙間を縫う様に歩けないお嬢様は、俺の隣まで来るとそんな悪態を付きながら、乱れてしまった髪を手櫛で梳かす。

 無理して付いてくる事もなにのに、と思いながらも、俺はすぐ側に立っていた若い警官に声を掛けた。

「アンサラーの者が来た、と責任者の方に伝えて下さい」

 若い警官は訝しげな顔で俺を見た後、路地の奥へ消えていった。その背中を視線で追うが、惨劇の現場は鑑識と警察の影になって見えなかった。

 ただ、路地の一番奥。くすんだ灰色の壁に、赤黒い色で書かれた『Broken English』の文字と、巨大な逆十字は厭という程よく見えた。ここからはよく見えないが、あの十字架の周りには、呪いの言葉がぎっしりと書き込まれている事だろう。

 全く、イカした連中だ。本当に。

 間違いない。ジルベル・クロイツだ。

 昔から全くセンスの変わらない連中の手口に、半ば呆れともいえる様な感情が湧いた時、俺はふとふと視線を感じた。

 見られている。この身体にまとわりつく様な視線は、間違いなく監視の目だ。

 俺は肩の凝りをほぐすに見せかけ、首を回してあたりをみた。

 人影を目の端で捉えた。裏路地に面した古いビルの四階、そこに二人か三人はいる。俺が動いた瞬間に身を隠したが、甘い。俺の動体視力からは逃れられない。

 なるほど、ね。さて、どうするか。

 しかし監視に対してどう動くか決める前に、あの若い警官が戻って来てしまった。

「どうそ」

 というとテープを上に引き上げる。一旦引くべきか、と思った時には遅かった。

「失礼するわね」

 お嬢様がテープの向こうへ先に行ってしまったのだ。

 ………ええい、ままよ。

 俺は最悪のシナリオを頭に浮かべながら、花柄のコートを纏うお嬢様の背に続くのだった。




「連絡は上から来ていますよ、えっと………」

「アンサラー。女王陛下直属王立宝刀騎士団、アンサラー、です。協力感謝します」

 責任者らしいブラウンのコートを羽織った刑事に手帳を見せた。それにはジンデル家の家紋でありアンサラーの団章でもある楯と剣の紋章が描かれている。

「王立………上はあなた方の支持に従えと言ったが、結局なんなんですか、一体………」

 アンサラーについての情報は、他言無用のトップシークレットだ。その存在も公の記録には一切書かれていない。ましてや、一介の刑事が知る由もないのは当然だ。

「下手に首を突っ込むと、死にますよ」

 俺は努めて相手が萎縮してしまわぬ様に優しく言ったつもりだが、それがかえって不自然だったのだろうか。刑事は少し顔を蒼くしていた。

「取り敢えず、現場、見させて頂きますね。あ、特にこちらで必要なものが見つからなければ、すぐに帰りますので」

 はぁ、と気が抜けた様な顔で刑事が言うのを確認してから、俺は血文字の書かれた壁の前に立ってみた。

「『Broken English/Hell's Gate Open/BooDoo PeoPle MurDer PeoPle/Genocide/Destroy/Kill, Kill, Kill... 』。うぅっ………なんだか吐き気がするわ」

 お嬢様が俺の隣りに立つと、比較的大きな文字を読み出した。が、二行と読まぬうちに口元をハンカチで抑えてしまった。

 赤黒く変色した血文字は書かれたときの血の夥しい量を示すかの様に、上方に書かれた文字から滴り落ちた血によって下にあるものが見づらくすらなっている。

 にしても、気分の悪くなる光景だ、実際。

「………『We Hope the Silver Daybreak. We are the Silver Crusades.』。銀の夜明け、か」

 血文字で、英語でだがしっかりと銀十字軍、と書かれている。

「最近ガキ共の間で悪名高い連中の仕業か、若しくはそのコピーキャトだと思われますね」

 さっきの刑事が俺達の脇に立っていた。聞いてもいないのに説明をしてくれる。

 しかし、一応現場の責任者を任される人間までそんな嘘を信じているとはね。驚くべきはアンサラーの根回しか。

 銀十字軍はアングラで、猟奇殺人集団と噂されている。アンサラーの情報課が事実隠蔽の為にガセネタをばらまいたのが始まりだ。

 しかし、なるほど。コピーキャト、という発想は今までした事がなかった。連中がもっと派手に動き出せば、真似をしたがる馬鹿な奴等も出かねない。だが、まぁ今回は間違いなく連中だ。監視がいるのがその証拠だ。

 視線は外されていない。監視者に気取られない様、俺は普通を装う。

「殺されたのは男女二人と聞きましたが、どんな風に殺されていたんです?」

 俺がそう聞くと、刑事は苦虫を噛み潰す様な顔をした。俺の言葉に気を悪くしたのではなく、惨状を思い出して顔を顰めたのだろう。

「無惨なものでしたよ、何発も弾が身体を貫通していて………」

「十字が、あった、と」

 十字。十字架。身体に刻み込まれる、死を持って得るスティグマ。連中は殺した人間にそれを付けたがる。

「えっ?ええ、顔を潰す様にして巨大な十字架が身体に。二人とも………」

 刑事が言いながら目を向けたところには、夥しい量の血痕と、二人の屍が発見された姿を象る白テープが貼ってあった。

「被害者の身元は………」

「財布から免許証が。一応確認していると事なんですが………」

 さっきから気になる。この男、随分粘着質な話し方をする。

 ………女王直属機関に取り入りたいのだろうか。矮小な人間だ。

「ああ、その必要は無いですよ。………というか、無駄でしょうね」

「どういう…………」

 意味か、と聞きかけた刑事を睨む。深入りするな、の意だ。

 ジルベル・クロイツの事だ、身元など全くのでっち上げだろう。調べるだけ時間の無駄だ。わざわざ身元のわかるものを残す、というのは、そちらに注意を向けさせる為の小細工に過ぎないのだ。

「そ、そういえば、なんですけどね………」

 男は笑顔を取り繕う様にして、とある決定的な事を言った。

「死体の、まぁ無惨なものでしたが………潰された顔に、恐らく人間の皮膚、だと思われるものが、その、なんと言いますか………釘か針金の様な、悪魔の尻尾の様な形をしたやつなんですけどね、それで刺されていまして………『我らを狩ろうとする愚か者に死を。使徒による粛正を』と書かれていまして。………殺された二人は、相手を探っていた、とかでしょうか………?」

 ………使徒、ね。アポストリスが動いたか。

 なるほど。確かにコレは連中からの挑戦だ。

 最近、俺が秘密裏に連中の構成員を『処理』していたのだが、ようやく連中もそれに対策を講じてきた、という訳だ。

 となると。今回の場は、下手を打てば幕開けとなる。俺の面が、そしてアンサラーの存在が銀十字軍に知られる事となる。そうなれば、後は戦争だ。

 血で血を洗う、どちらかが滅びるまで続けられる闘争のための闘争。

 殺し合いだ。有象無象の区別無く、一切合切の破壊、破壊、破壊。

 嗚呼、開戦の狼煙を上げることになる。それは気が重い反面、血が滾る。

 ………魔狼の帰るべき場所は、やはり戦場なのか。

 構いはしない。成すべきを成す事だけが、俺の意義。やってやるさ。いくらでも。

 月まで届く、屍の階段を作りましょう。骨の玉座で、血のワインは如何?

 この世の地獄を作りましょう。泣く子も黙る、阿鼻叫喚。死屍累々の焼け野原。

 銀の悪意を叩いて砕く。魔狼の牙をお見せしよう。

「ヒルド………?」

 黙ったまま立ち尽くしていた俺を訝しんだのか、お嬢様に声を掛けられる。

 俺は、妄想から離脱した。危険な男さ、俺は。倒錯しているんだ。

「………驚かず、聞いても決して周りを見回したりしないで下さい」

 俺はさも、今監視に気付いたかの様に振る舞った。

「………監視がいます」

 お嬢様は一瞬身体を強張らせたが、周りを反射的に見る事はなく俺に耳打ちを返した。

「どうするの?」

「間違いなく今回の犯人はジルベル・クロイツです。ここで下手に動けば、連中に私の顔が知られるだけでなく、アンサラーの存在が漏れます。そうなれば、後は血みどろの戦いになるでしょう。………あまり望ましくない展開です」

 お嬢様は、唾を飲み込む様にして頷いた。

「監視の人間を私が引きつけて、『処理』します。それと………」

 言うべきか迷ったが、隠す事でも無い。俺は躊躇うことなくその事実を伝える事にした。

「連中の幹部、アポストリスが今回絡んでいるようです。………相まみえる事になるかも知れません」

 アポストリス。使徒の名を騙る、ジルベル・クロイツの十二人の幹部たち。何故ドイツ語じゃ無いかといえば、銀十字軍設立時には無かった階級で、後から来た新参者が作ったものだから、だ。でもそれは、今は別の話。

「………アポストリス、ってジルベル・クロイツの中でも抜きん出た殺戮者たちなんでしょう?ヒルド………あなた…………」

『大丈夫なの』、そう言われるのは解っていたので、俺はお嬢様の言葉を最後まで待つことなく彼女に背を向けた。

 大丈夫、な訳はない。死と隣り合わせの戦いになる。けれど。

 俺の存在意義は、その連中を打ち負かす事。心配されたところで、俺は俺である為に、立ち止まる訳にはいかないのだ。

「………戻りましょう、お嬢様」

 背中にお嬢様の視線は感じたが、彼女は何も言うことなく俺の後に付いてきた。

「ご協力、ありがとうございました。この一件は、全てアンサラーが引き受けます」

 俺はそう言い残し、惨劇の現場を後にしようとした。その時だ。あの刑事が俺に耳打ちしてきた。

「で、結局あなた方は………連中専門の捜査機関、という事ですか?」

 耳障りな声だった。取り入りたくって必死だ。

「………今、知りすぎたあなたを殺してもいいんですよ?」

 そっとそう耳元で囁くと、刑事は二度と話しかけてくる事はなかった。

「何を話していたの、ヒルド?」

「実に下らない冗談ですよ」

 帰り際、俺は振り向くと、監視の連中がいる方向に向けて中指を突き立てた。

 さぁ、開戦だ、ファック・ユー。




「二手に分かれましょう、連中は俺が引きつけます。お嬢様は、彼と共にここに残って下さい」

 俺は先程男と会った所まで戻ると、お嬢様にそう告げた。

「引きつけるって、貴方何をしたの?」

 お嬢様は、さっき俺がした仕草を見ていない。無論、見られたら『下品』やら『はしたない』云々色々言われるのは解っていたので見られない様にしたのだが。

「ちょっと、挑発を………連中としては見つかっていないつもりだったようですし、こっちからアプローチすれば何か知っていると思って追ってくるはずです」

「一人と二人に別れれば、一人の方を追う、という訳ね」

 その通り。

「では、行きます。………あんた、鍵を貸してくれないか?」

 俺は突っ立ったままの黒服男に手を出した。サングラス越しで見えはしないが、多分驚いたんだろう。顔の中心に皺が寄った。

「アレに傷が付いたら大変だろ」

 俺は親指をサムソンに向けた。男はようやく理解したのか、ベンツの鍵を投げてよこす。俺は代わりというわけではないが、サムソンの鍵を手渡した。

 本当は、ベンツにだって勿論傷を付けていけないが。要は比較考量だ。

 サムソンに傷なんて付けたら、一体お嬢様に何を言われるか………

 俺は受け取った鍵を握り締め、ベンツに向けて歩く。

「ヒルド」

「ここには警察がいますから、連中も手を出す事は無いでしょう。ここでお待ち下さい」

 何か言いかけたお嬢様の言葉を、意味のない台詞で掻き消した。それが不服だったのか、お嬢様は声を荒げて言った。

「ヒルドルフ!」

 思わずその声にびくついてしまった俺は、顔色を窺う様にそろりと振り向く。お嬢様は腰に手を当て、胸を突き出す様に立っている。

 ………威嚇?

「ヒルドルフ………」

 もう三度目となる呼び声は、その格好とは不釣り合いに消え入りそうなものだった。………なんだ?

「必ず、必ず帰って来なさい」

 腰に当てられていたはずの手は、いつの間にか胸の前で組まれている。

 ………ははっ。

「それは、ご命令ですか?マイ・マスター」

 笑えない冗談さ。しかしお嬢様は、一瞬不服そうな顔をした後顔を真っ赤にして言った。

「………そうよ、命令よ。行きなさいマイ・スレイヴ、敵を殲滅なさい」

 オーイェー。サーチ・アンド・デストロイ。帰ってこいとのおまけ付き。イギー口ずさみながら行くよ。

「了解、致しました」

 俺は彼女の目を見てしっかりとそう答えた。………どうせ死ねば、責任は追及されないのだから。




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