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 運転席に乗り込みエンジンをかける、その前に。連絡を入れておかなければならない人がいる。

 数回の呼び出し音の後、紳士の声が聞こえてきた。

「もしもし、ヒルドか?」

 バトラー・ウィリアムの声。

「ええ、今現場を見てきたところです」

 俺は現場の様子を簡潔に説明し、更に銀十字軍の監視があった事、今回の一件にはアポストリスが一枚噛んでいる事を伝えた。

「使徒、か………現場での事はお前に一任してあるが、どうするつもりだ?」

『アポストリス』と聞いてウィリアム氏の声は険しくなった。まぁ、当然か。連中が如何にいかれた連中か俺が厭という程言ってきたのだから。

「………命令通り、見つけ出して殲滅します。………それだけですよ」

 その一言で紳士は沈黙する。

 ………黙る必要なんて、ないはずなのに。

 俺は、俺である為に戦わなければならない。なぜなら俺は戦う為にここにいるのだから。

 アイデンティティをそこに見いだした以上、俺は、それに従って生きる。

 だって、そうでもしないと、虚しくて生きてらんないだろう?

 気を遣って貰う、必要なんてないんだ。運命の狗は、硝煙と血の匂いを嗅ぎながら生きるしかないのだから。

「………それで、今から連中を引きつけます。お嬢様の迎えによこした車で走りますんで、新しいナンバープレートの準備よろしくお願いします。あ、念のためサムソンの方も」

 こういう面倒な事務作業も、アンサラーの大事な仕事だ。もちろん、俺の担当分野じゃない。俺は、地獄の尖兵だから。

 普通の場合なら、車種やナンバーから登録名義等をイリーガルな手段で遡ぼり、ジルベル・クロイツの連中は間違いなく持ち主にに辿り着く。

 俺達の場合もそうなっては、色々と面倒だ。

 対銀十字軍の作戦は、国家機密レベルで行われるあくまで秘密裏の活動なのだ。と、いうのは建前。本音は、お屋敷が襲撃されては堪らないって事。

 無論対策が取られていない訳じゃない。『普通の場合』なら所有者情報は漏れる。しかし、こっちは王立組織だ。いくらでも公式情報を書き換える事が出来る。

 よって、ナンバープレートを貼り替える、って事。

「………ああ、解った。早速やっておこう」

「ええ、お願いします」

 そこで切ろうとしたが、ウィリアムさんは最後に一言、言った。

「気を、付けろよ」

 ………………

 何で俺の周りの連中は、こんな無責任な事を言えるんだろうね。

 放っておいてくれれば、いいのに………



 車を走らせて二十分。八割追ってくると思っていたが、不安がなかった訳ではない。しかし、ビンゴだ。

 二台後ろ、黒塗りのバンがどうやらそれだろう。ホマトーン駅の側を離れてからすぐ、横道から入ってきて後ろに付いた。かれこれ十五分近く付かれている。

 特殊加工のガラスでフロント以外外から見にくくなっている事、フロントに座る人間が、二人ともサングラスで顔を隠している事、そして後ろの席との間にセパレートがあり、そちらが見えない事。それから断定できる。

 セパレートの後ろには、準備万端な格好でいらっしゃるんだろう。

 俺はレイトンに向けて走っている。人気のない場所は連中にとっても俺にとっても都合が良い、撃ち合いになっても大丈夫そうな裏路地に入りながらの走行だった。

 暗くなった細い通りを歩く人影はまばら。気付けばバンは真後ろに付いている。やばい、そう思った刹那だ。

 パン。

 車体越しに聞くと酷く軽い音。サイドミラーを覗けば、黒服がライフルをこちらへ向けている。

 ………気の早い連中だ、もう我慢できないってのか?

 俺は深くアクセルを踏むと同時に、ハンドルから左手を離しスーツの下に手を伸ばす。

 パン、パンと空気の炸裂する音が絶え間なく続く。左右の窓から身を乗り出すようにして打ち出される弾丸は、この黒い車体を狙っている。

 ………一応この車は特殊装甲だが、あまり高級車に傷が付くのは貧乏人には恐ろしい。

 スーツで隠した脇の下、ホルスターにしまわれた鉄の塊を手に握る。ずしりと伝わる冷たい感触が、悲しいくらい手に馴染む。

 引き抜いたそれは、飾り気の無い無骨なリヴォルヴァー。ただ左側面に、銀色の狼が描かれている。

 人間には使えない、と言われた俺だけの銃。名をハティ、魔浪の名を冠する一挺。その全長は37cm、重さは15kg。

 確かに、『拳銃』の域は越えてるよ。

 運転を右手に任せ、俺は運転席左の窓を開ける。そこからハティを握った左手を外に出し、後方に向けて腕を伸ばした。

 15kgの重みが腕に伝わる。が、俺は普通の人間じゃないから別にどうってことはない。

 サイドミラーで標的確認。冷たい鐵の引き金を引く。

 ダンッッ!!

 爆裂音と共に12mmの弾丸が放たれる。それは思い切り命中、バンの左側から身を出していた男から血が噴き出す。国際法違反?俺には関係ないね。

 コイツ、ハティの弾丸は12mm炸裂鉄鋼弾、一応専用弾で、一発当たれば殆ど致命傷だ。男は既に絶命しているだろう。

 俺はこうして、簡単に人を殺して生きている。

 感傷に浸る暇はない。それは連中も同じらしく、ライフルの弾丸は容赦なく撃たれ続けている。

 このままではタイヤを打ち抜かれるのも時間の問題だろう。俺は連中を一旦引き離し、迎撃の体勢をとる事にした。

 都合の良い事に、ここから少し行けば使われなくなって久しい小さな工場がある。

 運転席脇、木目模様でカモフラージュした蓋を開けば、灰色の四角いスイッチが一つ。それを押し込むとスイッチランプが紅く点灯、途端俺の車は急加速しバンを一気に引き離す。

 スイッチは亜酸化窒素(日本では通称ニトロ)をエンジンに流し込む為のものだ。ガソリンと共に燃焼させる事で酸素を発生させ、ガソリンの燃焼を急加速させる。

 後ろのバンが小さくなったのがバックミラーで確認できる。俺は入るのを見られている事前提に、廃工場の敷地に車を入れた。

 昼間の雲一つ無い快晴は何処へやら。風の強いロンドンの空は既に雲で覆われた。

 夜の帳は、降りて久しい。

 夕闇の支配する闇の世界。さあ、狩りの時間だ。

   

 黒服たちは無人のベンツとその周りをよく見回した後、何処かに連絡を入れたようだ。続々と、しかし密やかに、次々と同じ様な黒服たちが敷地内に集まってきていた。

 俺は工場敷地につくとすぐに車を降り、工場の中に身を潜めている。工場内部の作りは至って簡単で、元々は小さな事務所であったのだろう小部屋を除いてぶち抜きだ。そして高い位置にある窓に沿うようにある小さな通路に梯子伝いで行く事が出来る。

 俺は丁度その通路にいた。窓から連中の動きが一望できる。

 敷地に入る入り口は一つ、ここから見張っていれば、敵の大体の面子と装備は把握できるという寸法だ。

 俺が工場内に入って二十数分、黒服の数は十を超え、連中はみな連射に優れた小型のサブマシンガンを携帯しているようだった。

 しかし連中は一向に工場内に入る様子を見せず、車と工場の周囲に屯している。

 ………何かを待っている?

 ………誰かを?誰が来る?

 ………………アポストリスか?

 使徒の名を頂くいかれた奴等は、殺す為に生きてるような殺人狂だ。何処までも救いようがなく、何処までも………

 その時だった。

 外にいた黒服たちに緊張が走った。

 光のない廃工場の敷地に光が差し込む。それは車のライトだった。全員の視線がそこに集中し、皆が背筋を伸ばす。

 大きなタイヤ、40cm以上はあるグリアランス、オフロード専用にも見える無骨な黄色いボディは、おそらくハマーだろう。後部に布でくるまれた大きな荷を載せている。

 ハマーはその大きな車体には意外な程静かに止まる。そして戸が開いた。

 出てきたのは、一人の長身巨躯の男。

 ………来たか。

 灰色のロングコートを着たその男は、背の丈2m近くはありそうだ。ティンガロンハットを深く被っているその出で立ちは、西部劇の映画で見たまんまとも思えた。

 イカした趣味だ。

 西部男が辺りを見回している時に、黒服が三人がかりで荷台の荷を下ろそうとしていた。しかしその布で巻かれたものはよほど重いのだろうか、なかなか動かせず悪戦苦闘しているように見える。

 すると西部男がそこへ近づき、黒服を下がらせた。そして。

 三人がかりで荷台から降ろす事もかなわなかったそれを、奴は、片手で持ち上げたではないか。

 なんつぅ、馬鹿力………

 西部男はそれを地面に下ろすと、巻かれていた布をはぎ取った。

 中から出てきたのは………………棺桶?

 あの六角形のシルエットは恐らく棺桶だろう、いや、棺桶を模した兵器という事か?

 三人がかりでもろくに動かせなかったことと見た目から考えるに、恐らくは金属製。拷問機のような棘が飛び出し蓋の部分には逆十字と頭蓋骨。

 何にしろ、良い趣味だよ、まったく。

 

「お待ちしておりましたグレイヴ様」

 黒服の一人が数十人を代表して巨躯の男の前に歩み出た。

「目標は?」

 グレイヴと呼ばれた男は鐵の棺桶を、金具で繋げられた鎖で自らの腕、丁度二の腕のあたりに巻き付けながら答えた。

「車がここで乗り捨てられていました。すぐに周囲を探しましたが、見あたりません。恐らく、この廃屋の中にいるものと思われます」

 黒服は言い終えた後大きく息を飲んだ。かなり緊張しているようだ。

「中には入ったか?」

 グレイヴは鐵の棺桶、恐らくそれは150kgはあると思われる物を抱えるように構えたり、肩に載せて構えたりと軽々と扱っている。

「いえ、グレイヴ様の到着を待てとの指示がありましたので、誰も入ってはいません」

 黒服の答えに小さく頷くグレイヴ。そしてその目は、今丁度ヒルドルフが外を覗いている窓に向いた。

 びゅん、と風を斬る音。グレイヴは棺桶を大きく振りかざすと、棺桶の、本来なら足の裏が向く方向から、銃口が六つ、一斉に飛び出した。

 この時丁度すぐ側にいた黒服は、頭を棺桶で殴られ脳漿を飛び散らせていった。

「そこかぁっ!!」

 咆吼。窓枠を鉛玉が砕いて行く。堪らず避難するヒルドルフの背が窓から見えた。

「間違いない、奴は中だ。踏み込むぞ」

 銃口からは未だ窓から見えた男の影を狙う弾丸が放たれている。そして理不尽な方法での仲間の死に怯む黒服たちを震え上がらせるグレイヴの怒声。

 戦火は灯された。

 後はただ、屍を作るのみ。

「どいつもこいつも、気が早いな。そんなに死にたきゃ、殺してやるよ………」

 自分の微か上を通り過ぎて行く鉛玉。ヒルドルフは小さく呟きホルスターに手を伸ばす。

「死にたがり共がっ………!!」

 そして、魔狼が目を醒ます。




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