今でも覚えている。 あの子がいなくなった日を。
今でも覚えている。
笑顔が消えてしまった日を。
今でも覚えている。
『おかえり』と、言われなくなった日を。
私には、年の離れた弟がいた。
私はその時にはもう物心が付いていて、弟の存在がただ単純に嬉しかった。
私は弟を本当に可愛がった。
両親も、弟をとても可愛がったけど、私はそれに嫉妬はしなかった。
それぐらい好きだった。
そのころは家族には笑顔が溢れていた。
もちろん出かける時は『行ってらっしゃい』と言われ、もちろん帰ってきたら『おかえり』と言われた。
それが当然だと思っていた。
毎日が楽しかった。
幸せの意味など考えたことなど無い程に。
そう、あの頃は幸せだった。
生きる意味など、考える必要なんて無かったのだから。
でも、終焉は突然やって来た。
私の前を弟がまだ頼りない足取りで駆けていた時だった。
『転ぶよ』と、私が笑顔で言った時だった。
一台の車。
タイヤがアスファルトに擦れる音。
ボンネットが凹む鈍い音。
弟は不自然な格好で、道路すれるれを流れるように飛んでいった。
潰れたトマトのように辺りは真っ赤で、一瞬弟の身体がびくりと震えた。
そして、動かなくなった。
私は悲鳴さえ上げる事が出来ず、ただ立ち尽くしていた。
交通事故の被害者の遺族に与えられるのは損害賠償と慰謝料だけ。
お金で命が買えますか?
お金で笑顔が買えますか?
お金で、失った時間を買えますか?
それは無意味だった。
弟の血にまみれたお金など、私たちは使いたくなかった。
そして、その日から私たちはおかしくなった。
家族がぎくしゃくし始めた。
父さんは、事故のことを忘れるが為に仕事に没頭していった。
毎日毎日遅くまで帰ってこず、帰らない日もあった。
休日も書斎に籠もり、ただひたすらに仕事をこなす。
やがて交わす言葉は少なくなっていった。
母さんは、事故のショックから心を少し病んでしまった。
些細なことでとち狂ったように怒り出す。
ヒステリーだ。
勿論両親のなかは険悪になり、三人揃うことなど無くなっていった。
自分の家なのに、息が苦しい。
それまで当然だと思っていた言葉をかけられない事実。
辛かった。
私も弟を失った悲しみから、内向的になってしまった。
友達付き合いもはほとんど無くなり、いつの間にか居場所が無くなっていった。
孤独、そして孤立。
幸せとは何だろう。
その時初めてそう思った。
生きる意味って何だろう。
その時初めてそう思った。
答えは出なかった。
悲しかった。
居場所もなく、行き場所もない。
どうせ死ねないし。
色んな事に耐えきれなくなって、家を出てきた。
だから今、ここにこうしている。
全てを話し終え、私は大きく息を吐いた。
胸の蟠りが、少し引いてすっきりした。
雨音が静かに聞こえる。
教会には、私と彼しかいない。
ここが今、私の居場所だろうか?
そんな、下らないことを思った時だった。
「貴方は・・・」
静かに、しかし力強く、彼の口から言葉が発せられる。
「甘えています。」
雨音だけが、教会に響いている。