じめじめしてやがる・・・ ちょっと中に踏み込んだらすぐに外の光は届かなくなり、その代わり暗い闇と湿った空気が俺の肌にまとわりつく。
ぴしゃりぴしゃりと水滴が垂れる音が空洞に反響しあって、響いては消えてゆく。
水鏡の洞窟。
ベッツィーニからほど近いリネの森にそれはある。
奥からは水が湧いているらしく、森の中ぽっかりと口を開いたところからは澄んだ水がさらさらと流れ出ていた。
森を抜け、萌草の草原でイセ川に合流する。
ま、それは今関係ないか。
俺の後にはトリノ、アスラ、キース、ユミル、イヴの順で並んでいる。
更にその後ろをアトリスセンセが少し遅れめに歩いていた。
「あわっ・・・」
湿った地面に足を取られたのか、ユミルが間抜けな声を上げた。
すかさずキースがそれを支えようとするが、元々運動は苦手のようだ。
結局支えきれず二人とも盛大に転んでしまった。
「い・・・てぇ・・・」
キースが情けない声をあげる。
その声はよく洞窟に響いて消えていった。
「大丈夫か。」
アスラに手を伸ばされ、顔を苦痛に歪めながらキースがのっそり立ち上がる。
同じようにトリノにユミルが引き上げられていた。
「緊張のしすぎだ。もう少しリラックスしたまえ。」
間を開けて後ろからついてきていた、センセの声が響く。
白い鎧を纏った、金髪の女性。歳は二十前半くらい。
はっきり言って美人だと思う。
なのに言葉遣いがやけに堅苦しいのは、彼女の“職業”柄の所為だろう。
腰には装飾の施された大刀を帯び、闇の中でも輝きそうな位よく磨かれた盾を装備している。
“聖騎士”だ。
“騎士(”の上位クラスであり、神聖魔法(と剣の両方を使う秩序を重んじる剣士。
世界に数人しかいない、限られた者のみの称号。
それがセンセ、いやアトリス=キルバートの、ハンター兼アカデミー講師に続くもう一つの肩書きだった。
「は、はい。」
ユミルは少し顔を赤くして、けれども元気よくそう言った。
そりゃそうだ。
神官見習いの彼女にとって、“聖騎士(”なんて雲の上のような存在だからな。
「今回は唯の“様子見”だ。君たちがどれほどの力を、現時点で持っているか見極める為のな。別に今回ちゃんと出来なかったからと言ってすぐ落第、ということはないんだ。」
そう、今回は俺達の“様子見”なんだそうだ。
話は一昨日、彩花の月十九日に遡る。
パーティー登録を、なんと一番に済ませた俺達の、アカデミー初の講義の日だった。
百人程度の人間が、充分入りきれる広い講堂に俺達は集まっていた。
ちなみに余談だけど、ハンターアカデミーの全生徒数は大体千人。
つまり各学年二百五十人、ってとこだ。
あのだだっ広い敷地には多少少ないと感じるかも知れないけど、それだけの恩恵を受けられるほど“ハンターの卵”の持つ意味は大きいんだ。
で、その大体二百五十人をパーティー人数とか色々考えて約三等分して講堂でのレクチャークラス割りをする。
最早クラスと言えるものかどうかは解らないけど、アカデミー側がそう呼んでるんだから、そうだ。
講義のレクチャー、と言ったのは、それとは別に実技のレクチャーがあるって事だ。
大体二、三のパーティーに、二人の講師が就くのが普通らしい。
接近戦用の講師と、遠距離戦用の講師だそうだ。
ただ、どんな習慣だか知らないけど、最初にパーティー登録をしたところには、そこ専属の講師が一人就くのがアカデミーの習わしらしい。
しかも、結構優秀な。
何でだ?とセンセに聞いたら、『ハンターの世界では一番乗りはいいことだからだ。』と、解るような解らないような事を言われたけどな。
えっえと、つまり俺達のパーティーには俺達専属の“優秀な”講師が就いたって訳だ。
で、それがアトリスセンセ。
確かに魔法と剣に通じたセンセなら、俺達の方も大歓迎だったけどな。
キースは別の意味で大歓迎だったらしく、懲りずにトリノに殴られたが。
話がずれた。本題に戻すぜ?
俺達が講堂で講師が来るのを待っていると、入ってきたのはそのアトリスセンセ。
入ってきて開口一番、センセはよく響く声でこういった。
「明後日、二十一日から君たちに簡単なクエストをして貰う。」
と、ね。
順番はパーティー登録を済ませた順から。
つまり真っ先に俺達の番、ってわけだ。
そんなわけで、俺達は今ここにいるんだ。
「こんな所で、いったい何を“様子見”ると言うのです?」
珍しくアスラさんが口を開いた。
目は一番後ろから私たちの後ろをついてくるアトリス先生に向いている。
なるほど。確かにその質問の答えは是非とも聞いてみた気もする。
全員、同じ事を思っていたのかもしれない。みんなが一様に先生の方を向いていた。
「うん、なかなかいい質問だ。」
先生は何度か首を縦に振ると、甲冑の音を響かせながら私たちとの間合いを詰めた。
「だが、なかなか難しい質問だ。」
先生は私たちの顔をぐるりと見回す。
「なぜなら『何を見るのか』、と訊かれたら『全て』と答えるしか他ないからだ。」
はぁ?と言う声がトリノさんから聞こえたが、先生はそれを気にせず話を続ける。
「つまり観察眼、注意力、適応能力、反射神経その他諸々・・・ハンターに必要な“全て”の要素をここで見るのが目的なんだ。それに・・・」
先生はそこまで言うと、何かに気付いたのか眉を上げて続きを述べた。
「戦闘能力もだ。」
その言葉に私たちは一斉に振り向いた。
暗い、洞窟の先。そこに生物の気配がする。
目をこらすと見えてくる、半透明で、濁った緑色・・・
あれは・・・
「グリーンスライム!!」
目がいいイドさんの声が洞窟に響く。
それを合図に、私たちは一斉に身構えた。
イドさんはダガーを。
トリノさんは槍を。
アスラさんは刀を。
キースさんは紋様の書き込まれたその手を。
イヴちゃんは動きこそ少なかったが、その小さな手を強く握ったように見えた。
私は十字のロッドを握る。
緊張があたりを包む。
グリーンスライム。
ダンジョンなど光の届かぬ暗くじめじめした場所を好むゲル状の生命体。
単細胞生物のように身体のつくりやその行動は単純そのものだが、強い酸を吐く為危険な生き物だ。
暗がりでよく見えないが、結構な数がいるようにも見える・・・
心臓がドキドキする。
彼等は生物と広い意味では言えるが、もっと別の言葉で簡潔に言い表すことが出来る。
モンスター。
普通の動物とは違い、明らかに“人間”への殺意を抱いた命。
導く秩序トーラ様とは別の者からその命を授かった邪なる者達・・・
故に世界中の人々から恐れられ、忌み嫌われる者達。
闘わなくちゃ・・・
じりじりと、互いに間を詰めてゆく・・・「行くぜっ!!」
イドさんのその声を合図に、私たちの初めての“戦闘”が始まった。
「ふっ!!」
勢いよく突き出した槍に体重をのせる。
鋭く研ぎ澄まされたそれはゼリー状の身体に突き刺さり、スライムは蒸気を上げながら溶けるように消えていった。
「まずは一匹だね!!」
あたしの声が洞窟に響き渡る。 数は多い。まだまだ油断は出来ない・・・
すっと、あたしの脇を黒い影が素早く過ぎる。
洞窟の中でも鈍く光を放つものが素早く振りかざされ、スライムの身体を両断した。
アスラだ。
素早いね・・・
油断はならない、と思っていたにもかかわらず、その姿に一瞬目を奪われあたしは不甲斐なくも無防備に突っ立っていた。
「ボサッとするなトリノ!!」
後ろ方からアトリスの声が響く。
その声に我に返ると、スライムが濃い黄色の液体をあたしに向かって吐き出していた。
「くっ。」
紙一重に身を翻すことで直撃は免れたが、腕を掠った。
ぴりぴりとした痛みが走る。
苦痛に身が硬直してしまったあたしに向かって、なおもスライムが酸を吐こうとする。
その時だった。
『去りゆく風は剣の如く また言葉のように優しき されど今は刃と成れ 我が敵を切り刻め』
呪文の詠唱が聞こえる。
スケベ野郎の声だ。
『古の契約に基づき 我が声を聞け 風の精よ来たれ シルフ!!』
刹那、キースの両手が蒼白く輝き簡単な魔法陣が浮かび上がる。
そこから簡単な布を纏った小人のような生き物が三体、突如として現れた。
それらは今当にあたしに攻撃をしようとするスライムたちに向かって手を翳すと、そこから勢いよく刃のようなものが現れた。
カマイタチだ。
風の刃がスライムを切り刻み、その姿は蒸発して消えてゆく。
・・・ちっ。
まさかヤツに助けられるなんて思わなかったね・・・
そんな下らないことで顔を顰めたあたしを見て、傷が痛んだと思ったのか、ユミルが駆け寄ってくる。
「今回復します。」
そう言ってユミルは目を瞑り十字のロッドを胸に翳した。
『天に居ります我らが神よ 傷付し者に僅かな慈悲を・・・』
その言葉と同時に、ロッドとあたしの身体の回りが白い光に包まれる。
『癒しの光(』
光があたしの身体に入ってくる。
なかなか心地いいね。
するとみるみるうちに火傷のようになっていた腕が治ってゆく。
コレが神聖魔法(・・・
確かに便利だね。
「サンキュ、ユミル。」
あたしは簡単な礼を述べ、先程の汚名を返上すべく再び敵陣へ向けて駆けていった。
驚くべきはイドだ。
そしてイヴ。
自分は敵に注意を払いながらもその二人の力に正直驚いていた。
音楽と流浪の民カクラキン。
もともと狩猟民族でもない少数民族の人間でありながら、あのイドも身のこなしは何だ。
リーチの短いダガーをまるで舞を踊るかのように振るい、次々にスライム達を切り刻んでゆく。
その場で回転し二匹を一度に片付けたかと思うと、華麗に宙を舞い背後からの攻撃を躱す。
そして、そしてそこにイヴの一撃が入る。
イヴが詠唱もなしに飛ばす“何か”が丁度イドが身をどけた事で敵に当たってゆく。
“何か”は敵を爆ぜさせ消してゆく。その威力も驚きだが、息のあった連携が何より驚愕だった。
イドはまだしも、イヴ。
まだ年端もいかない少女が、何故そんな事が出来るのか・・・
無表情なその幼顔に、自分は怖れにも似た感情を抱かずにはいられなかった。
「一丁上がり、かな。」
腕で額の汗を拭うようなリアクションをして見せ、イドがあたりを見渡しながら言う。
「ああ。取り敢えずもういないだろう。」
その言葉にアスラが珍しく返事を返し、長い刀を鞘に戻した。
「なんとかなったね。」
そう言ったのは凶暴女。おっと、あいつには一言言ってやらないとな。
「よう、俺様のおかげで助かったな。」
俺様は紋様の描かれた手をひらひらさせてそう言ってやった。
けけけ。苦虫噛み潰したような顔してやがる。いい気味だぜ。
「あっ、あの。皆さん怪我はないですか?」
一瞬俺様の方をユミルが睨み、俺様を除いて皆に向かってそんなことを言う。
やべ、好感度ダウン!?
「俺は全然。イヴはどうだ?」
イドは赤髪を振った後、顔一つ変えていないイヴに声を掛けた。
「・・・大丈夫。」
・・・あそ。
「一部始終見せて貰った。」
不意に後ろから声が響いた。
嗚呼、麗しのアトリス様。
「傍観させて貰った。安心したぞ、皆及第点だ。」
その一言にパーティーに安堵が溢れる。
戦闘の緊張が解けていった。
「すぐに広いところに出られる。そこで一度休憩を兼ねて今の戦闘の反省会を開こう。」
その声に俺様達は声を揃えて返事をしたのだった。