終章
epilogue
「願わくば。この地獄のような日々でも明日が来ますように」




 壌も器四人の連携には手も足も出ず、倒れゆく壌は床板を崩しながら墜ちていった。

 倒れたままの百合子は燎士が抱えて外に出し、黒塗りの車が病院へ連れて行く。皆がそれに続き、呆けていた朔も流れに飲まれるように後を追うこととなった。

 どんな大病院に連れて行かれるのかと思ったが、意外にも町医者のところへ百合子は運ばれた。見慣れた病院であった。

 弓削診療所、百合子の家である。ロビーで目があった児雷也が、弓削家は代々樹の能力者を輩出してきた家だと説明した。薬草の力で、傷付いた搦手を救ってきたのだという。

 沈黙、いや。沈痛ともいえる重苦しい空気が淀んでいる。

 治療中と書かれた赤ランプが消え、白衣を着た男、百合子の父だ、それが出てきて一言二言児雷也に呟くと、冷たい目で朔を見て奥へ消えていった。

「取り敢えず、命に別状は無いそうだ」

 黙ったままのロビーに、搦手たちの安堵の息が漏れた。

 しかし、誰もが二の句が継げず再び張りつめた空気が狭い空間を支配した。

「………まぁ、疲れただろう。今日は、帰れ」

 珍しく児雷也が気を遣い、さっさと帰れと皆をせっついている。しかし誰もが脇目で朔を見るばかりで立ち上がりもしない。

 馬鹿らしくなって朔がすくっと立ち上がる。皆の視線を感じたが、気にしない。気にしないと決めたのだから。

 せめて早くこの息の詰まりそうな世界から抜け出したかった。しかし、背に、誰かが立ち上がった気配を感じた。

「待ちなさいよ、御鏡」

 高く、震える声。振り向かずとも、それが翼だとわかる。

 振り向かなかったが、立ち止まった。

 何を言われるかは大体わかる。しきあし、まあ。聞いてやる程度の責務は果たさねばならないだろう。

 ゆっくりと振り向く。

 翼は、その両目に涙を蓄えていた。すぐに罵詈雑言を聞かされると思っていた朔にとっては、虚を突かれたような思いだった。

「………あんた、言ったわよね。『何の為に戦うのか』って」

 翼から目を逸らせず、小さく頷く朔。それがなんだと言いかけたのを、悲鳴とも叫びともつかない声が劈いた。

「私は、私は百合子の為に戦うわ。もうあんなめには合わせない。守るわ、私が、ユユを傷付けようとするすべてから。禍凶からも、それに」

 殺意すら隠る双眼。華奢な身体は小刻みに震えていた。

「あんたからも」

 朔は再び小さく頷くと、今度こそ振り返らず出て行った。翼はその背を睨み付けるように見送ると、その場に崩れ落ちた。声をかける、者はいない。





「おかえり」

 無言のまま家の玄関を開けると、輝更がそこに立っていた。

「ただいま」

 互いに言葉はない。しかし、それが苦痛でない。

 手を伸ばし、頭を撫でる。擽ったそうに輝更が笑った。

 これでいいんだ。自分に言い聞かせる。間違っていない、これで、よかったのだと。

 輝更を撫でる、血塗られた手。だとしても。

『君は、何のために戦うんだい?』 

 答えは既に、胸にある。






Back/ 闇の現