1st boy&girls
エルニア基準暦一七一九年、暁眠の月(この世界で三月)、二十九日。
どこまでも青く広がる空に、真っ白な雲が流れている。
太陽は暖かな光で大地を照らし、風は草をなびかせさらさらと心地よい音を立てていた。
萌草の草原と呼ばれるこの大草原。
暁眠の月の名にふさわしく、眠りを誘う暖かさが辺りを包み、若々しい草花が見渡す限り敷き詰められている。
しっかりと整備された歩道を歩く私の元にも、新緑の香りが届いて来る。
「ふぅ。」
私は一息つくと歩を止め、辺りを見回してみた。
地平線まで続く草の海と、そしてその中を通る真っ白な石畳の歩道。
白の道と呼ばれるその歩道の上に私は立っていた。
周りに人家など見あたらないこんな大草原を通る道が、まるで私の生まれ故郷、ルルサム法国の大聖堂へと続く道のようだ。
初めてこれを見たときは本当に驚かされた。
さすが世界一の商業都市へ続く道なのね・・・・
私はそんなことを思いながら、長く続く道の先を眺めた。
目的地は“自由都市ベッツィーニ”。
ロウド大陸最大の港を持つ、世界の半分の財を持つとまで呼ばれる大都市。
その大都市へ続く道が、ロウド大陸を南北に分かつエヴィド山地の麓まで伸びている。
こんなにも立派な道が、だ。
一体、どんな所なんだろう。
私の胸は、期待で膨らんだ。
きっと、噂通り豊かで、活気ある街なのだろう。
世界中の人々と品々の集まる地。
街の灯は夜も消えることが無いとも言われる自由都市。
このまま何もなければ、今日の日暮れ時には着く予定だ。
それでも、こうして歩を止めている時間がもったいなく感じられる。
まるで夜、興奮して眠れない子供のように、私の鼓動は高鳴っていた。
「よし。」
私は再び足を踏み出した。
心なしか体が軽い。
私は植物の香りを運ぶ風に吹かれながら揚々と白の道を南へと下って行く。
草々の揺れる音に混じり、せせらぎの音が聞こえてきた。
萌草の草原を通るイセ川だ。
エヴィド山地の西側から流れ出た水が、今はこうして白の道のすぐ脇を流れている。
流れる水の一滴一滴も、流されてきた石の数々も、私と同じように長い道のりを旅して来たのだ。
そう思うと何だか私は嬉しくなった。
ルルサムを立ってから約三ヶ月。
初めての一人旅に不安は尽きることは無く、ついつい寂しくもなるが、こんな何でもないことに心が慰められることは良くあった。
山間へと沈む夕焼けや、雨天の後の虹。
いつもなら何とも思わないような光景も、旅の間は違って見えた。
これだけでも、お父様やお母様を説得して一人旅を始めた甲斐があると思う。
確かに、初めての旅で一人なのは心配されても仕方がない。
でも、私はどうしても一人旅をしてみたかったのだ。
今まで自分の意志で何かを決めるということがなかった私。
そんな自分を変えたかった。
それに、一人旅も出来ないでいたら、ベッツィーニに着いてから本当にしたい事もきっと出来ないだろう。
本当に、旅をして良かった。
少し成長できたような気もする。
風に髪を揺らされ、自然と笑みがこぼれる。
その時、カラカラと車輪の転がる音が後方から聞こた。
振り向くと、荷台に沢山の荷を乗せた荷馬車だった。
「こんにちは。」
「こんにちは、お嬢さん。一人旅かい?」
私の挨拶に、手綱を引くおじさんは笑顔で答えてくれた。
荷台を引く馬の足が止まり、おじさんは私の横に並んだ。
「ええ、そうです。おじさんはお仕事ですか?」
「ああ、アルヴァナから品物を運んでるんだ。お嬢さんはどこまで行くんだい?」
おじさんはくわえた煙草の煙を吐きながら気さくに話しかけてきた。アルヴァナとは白の道の北の終着点。
エヴィド山地の麓の街でロウド大陸の南北を繋ぐ交易の街だ。
「ベッツィーニ、自由都市ベッツィーニまでです。」
馬の頭をなでながら私は答えた。
「やっぱりそうか、私もそこへ行くんだよ。どうだい、乗って行くかい?」
口から煙草を離すと、おじさんは嬉しそうに親指で荷台の方を指した。
「えっ、いいんですか?」
願ってもないことだ。荷馬車に乗れば昼頃には着けるかも知れない。
「ああ、ちょうど帰るところだからね。乗るのかい?」
「はい、お願いします。」
私は頭を下げると荷台へ乗るため荷馬車の後ろへと回り込んだ。
荷馬車に乗った私は簡単に自己紹介をした。
両親が付けてくれたユミル=シルバーフェザーの名を名乗り、
ルルサム法国の生まれで今年からベッツィーニのアカデミーに通うために旅をしていることを説明した。
「それじゃあお嬢さんはルルサム法国の神官様なわけだ。」
「いえ、まだ見習いです。でもどうしてわかったんですか?」
私はまだその事までは言ってはいなかった。
「ははは、そんな格好をしてルルサム出身と言えば誰でもピンとくるよ。」
おじさんは首だけを後ろに向けて笑いながら言った。
私は改めて自分の格好を見てみた。
白を基調とした神官服、その胸元には“導く秩序トーラ”の後光を模した円と組み合わされた十字架が描かれている。
たしかに、この格好ならトーラ教の関係者であるのは明らかだ。
宗教国家ルルサムでは皆がこういった格好だから気付かなかったが、どうやら他の街ではこの姿は目立つようだ。
「それで、神官見習いのお嬢さんがどうしてベッツィーニのアカデミーになんて行くんだい?」
「それは・・・・・」
私がおじさんの問いに答えようとしたとき、荷馬車が大きく揺れた。馬が興奮している。
私は慌てて荷台の縁に掴まった。
「アッシュバウンド!」
正面に向き直したおじさんが叫んだ。
荷馬車の前には灰色をした、牙と眼が飼い犬のそれとは明らかに違う野犬が二頭構えていた。
二頭とも低いうなり声をあげ、口から涎を垂らしている。
「くっ」
おじさんはかなり動揺していた。
アッシュバウンドは萌草の草原に住まう獰猛なハンターとされていたが、人を襲うことは滅多にない。
それに彼らは鼻が利く故に唐辛子などの香辛料に弱かった。
しかしどうやらおじさんは彼らへの対策を持ち合わせていないようだ。
暴れる馬を落ち着かせるのに必死になっている。
おじさんがもたついている間に、灰色のハンター達はじりじりと詰め寄ってくる。
「おじさん、私が気を引きつけるからその間に逃げてください!」
「お嬢さん戦えるのかい?」
手綱を懸命に操りながらおじさんが叫んだ。
「善処します!」
私は答えるのと同時に荷馬車から飛び降りていた。
エルニア基準暦一七一九年、暁眠の月(この世界で三月)、二十九日。
どこまでも青く広がる空に、真っ白な雲が流れている。
太陽は暖かな光で大地を照らし、風は草をなびかせさらさらと心地よい音を立てていた。
萌草の草原と呼ばれるこの大草原。
暁眠の月の名にふさわしく、眠りを誘う暖かさが辺りを包み、若々しい草花が見渡す限り敷き詰められている。
沢山の人々が歩いてきたことを示すかのように、土がのぞく道の上を歩く俺達の元にも、新緑の香りが届いてきた。
「ふぅ。」
俺は歩みを止め辺りを見回した。
地の果てまで続くような大草原と、遠くに通称白の道と呼ばれる舗装路が小さく見えた。
「イド・・・・・どうしたの・・・・・・?」
自分の胸あたりから声をかけられた。
鈴の音が聞こえる。
透き通るような白銀の髪を肩のあたりまで伸ばした少女が俺を見上げていた。
薄く、そして澄んだ碧眼が俺の双眸をじっと見つめている。
「白の道が見えたんだよ。イヴ、見えるか?向こうに白い線みたいなの見えるだろ、あれがそうだ。真っ直ぐ行けばすぐにベッツィーニだ。」
俺は遠くに見える石張りの道を指差した。
「・・・・・・・見えない。イドは目が良すぎる・・・・・。」
イヴは手をかざし俺の指差す方を凝視した。
が、どうやら彼女には見えないらしい。
白い腕に付けた鈴を鳴らしながら腕を降ろした。
「そうか、見えないか・・・・・まぁもう少し行けば見えるだろ。行くぞ。」
俺はそう言って肩の荷物を直して歩き出した。
「そうか、見えないか・・・・・まぁもう少し行けば見えるだろ。行くぞ。」
イドはそう言って肩の荷物を直して歩き出した。
私もイドに置いて行かれないよう、ローブをまとったイドの後ろを歩き出した。
イドの真っ赤な髪の毛が風に揺れていた。
めらめら燃える、火に見えなくもない。
「もう言ったことあったかな。ここら辺で俺は生まれたんだよ。」
イドは髪の毛と同じ、真っ赤な目で周りを見ながら歩いている。
「・・・・・ここで?」
周りは草ばかり。
ここで生まれた?
よくわからない。
「別に草むらの中でポーンっと生まれたわけじゃないぞ。」
私が首を傾げているのを見てイドは言っておくが、みたいな顔で言った。
「ここら辺に一族が来たときに生まれたって事だよ。カクラキンは音楽と放浪の民だからな。」
イドは目を細めてまたあたりを見ている。
「・・・・・感慨深い・・・・・」
私はこの間仕入れた言葉をぽつりと言ってみた。
「ははっ、そうだな、うん。感慨深い。」
どうやら使い方は間違っていなかったらしい。
イドが入れ墨の入った手で頭を撫でてくれた。
イドの肌は茶色っぽい黒色をしている。
褐色というらしい。
何で私とはこんなに色が違うのかと聞いたことがある。
イドは遺伝だと言っていた。
イドは頭がいい。
その褐色の体全身に、入れ墨が彫られていた。
真っ赤な入れ墨だ。
イドが言うには風と火を表しているらしい。
確かにそんな感じだった。
よくわからないけど、とっても偉い人と同じ入れ墨だと言っていた。
私も入れてみたいと言ったら、痛いぞぉ〜、と脅されてしまった。
痛いのは嫌だから諦めた。
でもベッツィーニはおっきい街だと聞くから、痛くしないで出来る人がいるかも知れない。
それなら入れようと思う。
もう少しで目的地。
頑張ろう。
ぼーっとそんなことを考えていたらイドとかなり離されてしまった。
向こうで待っている。
私はローブの端を踏まないように走り出した。
「イヴ、聞こえるか?イセ川が近いな。」
白の道を歩いている俺の耳へ川のせせらぎが聞こえた。
「・・・・聞こえない。・・・・・・イドは耳もいい。」
イヴには聞こえないようだ。
まぁ、仕方ないか。
俺等の一族は五感が発達している。
特に耳の良さは世界広しと言えども、俺達カクラキンが一番だろう。
「まぁ、そのうち見えるさ。イセ川と合流できればもうベッツィーニは目と鼻の先だ。」
これで今回の旅は終了。
山間の村ホリコから山道を下り二週間。
久しぶりの旅だったが大した問題もなくここまでこれた。
イヴも旅に慣れたと言ったところか。
「着いたら・・・・・・・宿とるの?」
隣を歩くイヴが何かを訴えかけるような目で見上げてきた。
「そりゃ、な。イヴも久しぶりにベットで寝たいだろ。」
「・・・・・そうだけど。空が見えない・・・・・・・」
やれやれだ。
イヴは夜空にご執着。
「窓から見えるさ。それに向こう着いたら野宿なんてほとんどしなくなると思うぞ。」
「・・・・・・・・つまらない。」
「あのな。」
俺が言いかけたときだった。
「きゃあぁーーーー!」
悲鳴だ!
一瞬にして体がこわばる。
俺は声の聞いた方角を見た。
小さくだが馬車が見える。
襲われているのか?
「イド、どうしたの?」
イヴにも俺の緊張が伝わったようだ。
「悲鳴が聞こえた!行くぞ!」
俺は白の道を駆けだしていた。
「きゃあぁーーーー!」
私の十字架を模したロッドは既に地面に落ち、丸腰となった私にアッシュバウンドが飛び掛かってきた。
悲鳴を上げた私はその場に倒れ込んでしまった。
運良く鋭い牙の一撃はよけられたが・・・・・・・
「グルルルルルル・・・・・・・」
二頭のアッシュバウンドがまだ立ち上がっていない私との距離をじりじりと詰めてくる。
餓えたその眼と、垂れ流しの涎に私は恐怖した。
「お、お嬢さん!」
おじさんの声が聞こえる。
まだ逃げていないの?
「おじさん、早く逃げてぇ!」
私が叫んだ瞬間、一頭の灰色のハンターが飛び掛かってきた。
「くっ!」
私は目をつぶった。
その時だった。
「おらぁ!」
男性の叫び声の後に、頭を叩かれた飼い犬のような声が聞こえた。
私が恐る恐る目を開けると、旅人の愛用するローブを纏った人が立っていた。
私に背中を向けているので表情は見えない。
赤い髪が風になびいていた。
男性はアッシュバウンドを蹴り飛ばしたのか、一頭のアッシュバウンドが少し離れた草の中で悶えている。
「来やがれっ!」
男性はローブを翻し、革製のパンツにくくりつけられた短刀を引き抜いた。
そしてもう一頭のアッシュバウンドと対峙する。
「グルルル・・・・・」
ゆっくりと、獰猛な眼で男性を睨みながらアッシュバウンドが動く。
男性もそれに合わせてゆっくり横へと移動する。
私はまだ立ち上がれずその様子を見ていた。
先に仕掛けたのはアッシュバウンドの方だった。
口を大きく開いて男性へと飛び掛かってゆく。
「危ない!」
私は思わず叫んでしまった。
だが男性は冷静だった。
短刀で鋭い牙を受けた。
しかしアッシュバウンドの武器は牙だけではない。
同じぐらいに鋭い爪を男性の腕へと振り下ろす。
しかし男性は動じずに、アッシュバウンドの腹部に拳を入れた。
鈍い悲鳴を上げてアッシュバウンドは地面にたたきつけられるように落ちる。
男性はすぐさま首筋に短刀を当て、灰色のハンターの喉元をかっ切った。
血が勢いよく噴き出した。
一瞬の出来事だった。
男性はゆっくりと立ち上がり、振り向いた。口元まで覆ったローブは返り血を浴びて赤く染まっている。
その姿を、私は一瞬恐ろしいと思ってしまった。
だがすぐに恐怖は消えた。
男性の目はとても優しかったからだ。
髪の毛と同じく、鮮やかな、澄んだ赤だった。
私は自分を助けてくれたこの男性を、一瞬でも恐ろしいと思ったことを恥じた。
「大丈夫か?」
男性が手を伸ばした。
褐色の、大きな手だ。赤い入れ墨が目に映った。
「あ、ありがとうございます。」
私がその手を取ろうとしたとき、もう一頭のアッシュバウンドが男性へ飛び掛かろうとしていた。
危ない、さっきと同じ事を叫ぼうとしたとき少女の声が聞こえた。
「吹き飛べぇ!」
少女の叫びと共にアッシュバウンドの体が吹き飛んだ。
もう少しでその牙の餌食になるところだった男性はすぐに振り返り、さっきの一頭と同じように冷静に止めを刺した。
「ふい〜。危機一髪。助かったよ、イヴ。」
男性は少し顔にかかった返り血を拭いながら、少し離れた所にいる少女に声を掛けた。
銀色の髪に、まるでサファイアのように澄んだ眼をしている。
男性のものより一回り小さい、日焼けしたローブを纏っていたが、とても可憐だった。
線が細く、まるでお人形のようだ。
「イド・・・・・・・走るの・・・・・速すぎ・・・・・・・」
少女は肩で息をしながら男性の元へと歩いてきた。
息も絶え絶えといった感じだ。
「悪い。でも、間に合ってホント良かった。」
イドと呼ばれた男性は、笑いながらイヴと呼んだ少女の頭を撫でながら言った。
少女は、ぎこちなく笑った。なぜかはわからない。
だが、私にはそう見えた。
「さて。」
男性は口元を覆ったローブを下げ、私の方へ向いた。
両頬にも赤い入れ墨が彫ってある。
「改めて、大丈夫か?嬢ちゃん。」
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