屋上へ続く鉄の扉は、向こう側の拒絶を示すかの様に重く感じられた。 しかし一度動き出すと、慣性に従い自然と開いてゆく。 初夏の乾いた風が吹き込んだ。 空はただ蒼く、広く、そして遠かった。 広い屋上には、不格好な鉄の骨格。 それはアンテナだった、作りかけの。 そして。 彼と目があった。鉄扉の開く音にこちらを向いたのだろう。 「………どうした?」 久しぶりに聞いた声。てっきり非難や怨嗟を聞かされるのではと内心びくついていたが、彼の声はいつも通りのものだった。 寧ろ、“いつも”と比べれば覇気が無いくらいに。 部長がアンテナの側で驚いた顔をしていた。 「アンテナ………本当に作っていたんですね」 扉を後ろ手で閉めながら部長に向かって歩きながら、質問には答えずそんな事を言っていた。 「ああ、部活だしな。それに、他にする事もない」 乾いた笑い。………彼もそんな顔をするのだったか。 「で、お前何しに来たんだ?わざわざ学校まで」 わざわざ。 そう。来る必要のない場所へ、来る意味のない場所へ、何故自分は来たのだろう。 「さぁ………自分でもよく解りません。ただ、何か少しでも『いつもどおり』だったら落ち着けるかな、なんて、心の何処かで思ってたのかもしれませんね」 正直に、思ったままを言った。 「そういうのは、解るよ」 そう言って部長はフェンス越しに遠くを見た。 あまりに静かな街を。 抱き合う相手はいなくても、街の温度が下がった気がする。 思ったより簡単に、世界は滅んでしまうのかも知れない。 「他の連中は、どうしてるんだ?」 「副部長は隣町に行ってみるって、一昨日出て行きましたよ。他は、男子は前言ってた通りみたいですね、多分。この間まで、一緒にいましたから。女子の方は………わかんないです、最近誰にも会ってませんから」 「そうか」 「あの、部長………」 「ん?」 「アンテナ作るの手伝わせてくれませんか?」 「………急だな。何でまた」 「………なんででしょうね」 瓦解していたのか。それとも瓦解したのか。 今はもう、あまり大切な事じゃなくなってしまった。 きっと。今思えば。 いつかはこうなる筈だったんだ。 手伝いを始めて三日目。 アンテナはまだただの鉄の塊。 「最初、本気だなんて思ってなかったんですよ」 機材を脚立に跨った部長に渡しながら言う。 「俺はいつでも本気だ。冗談も悪ふざけもセクハラも本気だ」 かっかっか、と肩を揺らしながら笑う。部長“らしさ”が戻って来た感じだった。 「本気でセクハラなんてするから、女子に変態部長って言われるんですよ」 それは、嘗てあった日常の一コマ。 『そりゃぁぁぁぁぁぁ』 『きゃっ』 『うむ、薄桃色。レースに下着職人の魂を感じる』 『部長、セクハラです』 『最低っ、最悪っ』 そして、もう戻らない日常たち。 「雨、止みませんね」 梅雨。作業は滞った。 毎日学校に来ても、アンテナに被せたシートを直すだけ。 後は放送室で時間潰し。日が暮れたら帰る。その繰り返し。 「まぁ、焦る事もないさ」 部長は読みかけの文庫をページを開いたまま机に置くと、部屋の片隅にある冷蔵庫に手を伸ばした。 「にしても、何でわざわざ一階にある放送室に自分ら屯すんでしょうね。屋上に持って行きましょうか、冷蔵庫」 お茶の入ったペットボトルから一口、直接飲んだ部長は言う。 「それもいいけど、俺は反対だな」 開いたままだった冷蔵庫にペットボトルを戻す。 「教室に冷蔵庫があったら、不自然だろ?」 そうだ、僕らは当たり前のものが欲しいんだ。 「………屯すなら、ここでって訳ですね」 雨空は暗い。そして酷くじめじめする。空調が使えないからだ。 「もう蓄えが少ないな………お前ん家、どうよ?」 まだ冷蔵庫を閉めていなかった部長は、その中を覗いていたよいうだ。 「いえ、問題ないです。コンビニ近いんで」 「マジか。でも臭くないか?」 「気にならない程度ですよ」 部長は何かを決意したのか、冷蔵庫の中身を全部取り出した。 さっきのペットボトルと、牛乳パック。食べかけのヨーグルト。 「全部処分しよう。電気が勿体ない」 とり出し終えた部長は、冷蔵庫を動かしていたバッテリーを止めた。壊れていなかった先生方の車から取り出してきたバッテリー。 「俺お茶飲むから、お前牛乳とヨーグルトな」 「どっちも乳製品ですね」 「育ち盛りにはカルシウムだろ。明日は食料系でも漁りに行くか」 電気が止まっていた。水道が止まっていた。ガスが止まっていた。 電波が届いていなかった。 放課後、体育館、舞台の下。半地下のそこで音を取っていた放送部。 校外への放送、その第一回用にラジオドラマを作る為に。 『よっし、じゃあそこでドリブルして』 監督は勿論部長。 一年生の女子二人に、何故かバスケットボールのドリブルを強要していた。 『あの、部長。一体何作る気なんですか?』 『お前等は何も考えなくていいし、質問は受け付けない。どうせ理解できまいて』 『あー、そうですか………』 『でも、なんで私たちが?』 『男がなにしてても面白くないからな』 いつも通りだった。 テンションがやたら高く、傍若無人に振る舞う部長。憎まれ口を言いながら、何だかんだでそれに付き合う面子。 部長は、中心だったんだ。 本格的な夏が始まった。こんなことになっても、蝉は五月蠅く蚊が厄介だった。 やたら暑い日、高価そうなマウンテンバイクに乗った副部長に久しぶりに会った。 「お久しぶりです。あ、お帰りなさい、ですかね。二ヶ月ぶりじゃないですか?」 「ああ、結構遠くまで行ったから」 「で、どうだったんです?」 「………行かない方がよかったかもな」 「え?」 「その方がまだ希望があった」 「ってことは………」 「他も同じ。いや、寧ろ酷かったかな………」 「そう、ですか………」 「………所で、他の連中は?」 「多分、男子は畑でも耕してる、かな。女子は、見てないですね」 「何だ、その言い方。お前もそうじゃなかったのか?」 「今は、部長の手伝いしてます」 「………アンテナ?本気だったのかあの人」 「みたいですよ」 副部長は眉間に皺をよせた。今後の身の振りを考えているんだろう。 「俺はまず野郎等に伝えてくる。あと、一応女子も探して………」 副部長は学校の方を見た。もうこの時間には、部長がアンテナ制作を始めている頃だろう。 「………気が向いたら手伝うよ」 「部長、喜ぶと思いますよ」 「俺が女だったらな」 笑いあった。 不自然なくらい、自然に。 ―――――閃光。 地下までは届かなかったけど、きっと世界は目も開けていられないくらいの光に包まれた事だろう。 酷く揺れた。 轟音、轟音、また轟音。 『いてぇ』 『きゃぁぁぁぁぁ』 『うわっ』 混乱、騒乱。 『おい、落ち着け』 舞台下、部長の怒声が響く。 『くそ、何だってんだよ』 外では相変わらず轟音が響いている。 ………世界が終わったのだ。 晩夏。 まだまだ暑さ残る夕方。 「出来ましたね」 見上げれば、立派なアンテナが一機そびえ立っている。 「………ああ」 部長はじっとそれを見ている。感慨深げだった。 「なんだかんだ言って、みんな結構手伝ってくれましたね」 「俺もお前も、配線とかの知識はからっきしだからな」 副部長が帰ってきてから、ちょくちょく他の放送委員が屋上に顔を出す様になっていた。 園芸部員たちが残した畑で食料を育て続けた男子。 自分の身は自分で守ると決めた女子たち。 あの日ばらばらになった全員を、もう一度つなぎ合わせたのはやっぱり部長だった。 「………部長の人徳のなせる業でしょう」 「………ふん」 真っ赤な夕日が目に染みる、とか言いながら、部長は目を擦っていた。 「放送、いつでも出来ますよ。どうします?」 「………明日にでも決めよう」 解りました、と言って屋上を去ろうとする。しかし部長は立ち尽くした儘だった。 「俺、もう少しここにいるわ」 その気持ちは、解る気がした。 あの日。世界が終わった。 『………なんだよ、なんなんだよ』 外が静かになってから暫くして、皆はようやく舞台の下から出てきた。 すぐに校舎の方へ駆け込んだが、机やら椅子やらが散らかっているだけだった。 街の様子が気になって、慌てて屋上へ駆け上がる。 そこから見えたものは、終わった世界だった。 深夜。電気が無いのでロウソクが灯り。 自分の部屋。窓がない。あの日、吹っ飛んだまま。 まあ、家自体が残っているだけ奇跡とも言える。 特にする事もないので、教科書を開いていた。 もう意味のないもの。でも。 あの日終わってしまった世界から取り残されて仕舞ったからなのか、生きていた頃の世界の習慣を引きずる事が一番落ち着くのだ。 『あー、ケータイの電源はいんねぇや。なぁ、………核でも降ったのかな』 『………でも、静かすぎない?なんで私たち以外いないの?』 『でも、何かあったのは確かだ。建物は殆ど瓦解してて、死体も転がってる』 『でも、生き残ってる人がいてもおかしくないでしょう』 『生き残ってなくてもおかしくなんかない』 『喧嘩は止めてよ』 『………これから、どうするんだよ』 『人、人探さないと』 『………無駄だろ』 『何を根拠に』 『うるせぇ』 ……… ……………… ……………………… ……………………… ……………………… 『俺達は、食料の確保に努めるよ。電気も水もないんだ、今から始めなきゃ』 『私たちは、私たちで生きてくわ。襲われたりしたら堪らないもの』 『………』 『………』 『………俺は、ちょっとまわり見てくるよ』 『副部長………部長は、どうするんです?』 『………俺は』 「アンテナが出来て、嬉しく思う。手伝ってくれて、ありがとう。これで電波が送れる、SOSを流せば、もしかしたら救援が来るかも知れない」 次の日。屋上には放送部員全員が集まっていた。 副部長が、皆を集めたらしい。 久しぶりに会う面子もいるわけで、なかなかざわつきが収まらないなか部長は話し始めた。 「でも、みんなも解っているかも知れない。そんな事があり得る可能性は、限りなくゼロだ」 皆一様に顔を見合わせた。『じゃあ何でわざわざアンテナなんて組み立てたんだ』と言いたげな。 「俺は、ただ。『部活』の延長が出来ればそれでよかったんだ」 部長は、ひとりひとりの顔を見た後、空を仰いだ。 「俺の、俺なりの現実逃避。何でもよかったんだ、『いつも通り』、『普通』、『日常』………そんな言葉を続けていたかった」 BR> それは、独白だった。いつもの部長からは想像できない様な姿で。皆、一様に聞き込んでいた。 「出来たら、みんなでやりたかったんだ。『部活』だからな。でも、みんな生きるのに必死だから、強要とかしたくなくて。それに、自分一人でやれば時間かかるから、それだけ現実から逃げていられる。………だから誰にも、自分から協力を乞わなかった」 空から視線を戻すと、にいっと部長は笑った。 「でも、お前等はみんな手伝ってくれた。素晴らしいね、俺の下僕としての自覚がちゃんとなっていたね」 どっと笑いが起こる。 何はともあれ、部長は部長だ。 「そして今日、みんなは集まった。それで十分だ」 十分にして、必要だった事。 こんな世界だ、協力しなきゃ生きていけない。 部長は逃避だと言ったけど、結果それが活きた。 部員たちは、今、もう一度一つになれた。部長を中心として。 「さぁ、放送を始めよう。生きてる奴に向けてな」 終わった世界に向けて。 壊れた人間関係は、元通りになったから。 それを伝えたくて、『部活』が始まる。 瓦解した日々の中で。 |