虚数方向に365度傾いても










 あいつには、何を言っても通じない。





――――ディオゲネス?」

「そう。狂ったソクラテスの異名で呼ばれてる。かのアレクサンダーに『何か私にしてもらいたいことはないか』と言われて『そこをどいて下さい。日向ぼっこの影になる』って答えた奴さ」

「へぇ………で、そいつ何者?」

「………哲学者だ」





――――何読んでんだ?」

「『神は死んだ』」

「変なタイトルだな。推理もの?」

「………『ツラトゥスツラは斯く語りき』」

「あ?どっちがタイトルだよ」

「………ニーチェを知らんのか」





――――やっぱ尊敬する人物っていったら織田信長だな。お前は?」

「大杉栄、かな」

「誰そいつ?」

「広辞苑が無政府主義者と定義した唯一人の日本人さ。日本のアナーキズムの象徴と言ってもいい」

「へぇ………で、そいつ何者?」

「え、いやだから………アナーキスト………」



 

 あいつには何を言っても通じないんだ。

「何聞いてんの?」

 昼休み、ちょっとした息抜きに屋上で昼寝をしていた俺の顔を覗き込む奴がいる。

 俺はポータブルMDのイヤホンを抜いた。

――――NoFX」

 上体を起こして俺は答える。奴、タカシは缶コーヒーを俺の顔の前に差し出した。

「ほれ、釣りが80円な。で、ノーエフ…?何?」

 いつもの事だ。タカシに何を言ったってまともに会話が成り立つ事なんて無い。

「………パンクバンドだ」

 隣りに腰を下ろすタカシに説明してやる。

「洋楽?俺聞かないからなぁ…邦楽ならちょっと聞くぜ、パンクも。ハイスタとか」

「俺はBBQの方が好きだけどな」

「あ?なんでバーベキューがそこで出てくんだよ」

 BBQ、つまりBBQ CHICKENSはHi-STANDARDのKENのサイドバンドなんだけどな。

「………いや、いい。忘れてくれ」

「?変な奴だな」

 俺から言わせればお前の方がよっぽど変だけどな。傍らに置いておいた弁当箱にそこでようやく手を伸ばした。

「そういやテツってパンクばっか聞くよな。他のジャンルとか聞かねえの?」

「そりゃ聞くよ。ミッシェルとかBRAHMANとか」

 BBQ CHICKENSもハードコアだ。

「ブラフマン?ハッタリ男?変なバンド名だな。洋楽?」

「………似た様なもんだ」

 BRAHMANは梵と同意義だ。おまけに日本のインディーズだ。

 まぁNIRVANAがいるくらいだから名前だけで洋邦区別するのが難しいのは解るけど。

 バンダナで巻かれた弁当箱を取り出す。二段重ねの蓋に手をかけた。

「あー、でもやっぱ洋楽に詳しいとなんか格好いいんだよなぱっと見で。なぁ、なんかオススメのバンドとかない?」

「パンクで良いか?」

 俺が洋楽で詳しいのはパンクぐらいだ。

「ああ、全然オッケ」

「最近のならさっきも言ったけどNoFX、RANCID、メロコアとか言われるけどOFFSPRINGも俺は好きだな」

「ラン………シド?『走れシド』。ピズトルズか?オフスプリング………『春無し』?」

「………そういう事にしておいてやる」

 シドのスペルはSidだ。offspringは子・子孫、若しくは成果・結果という意だ。

 いつもタカシはこんな調子だ。おかしな返答ばかり返してくる。

「お、美味そうじゃんソレ。一個くれよ」

 タカシの指は生春巻きの皮で包まれた俺のおかずに伸びている。

「コーヒー買ってきて貰ったからな。一個だけだぞ」

 サンキュー、と答えてほおばるタカシ。

「美味いなコレ。なんか爽やかな味だし。何巻いてんの?」

「マンドラゴラ」

 マンドラゴラ〔mandragora〕。英名マンドレイク、ドイツ語名アルラウネ。日本では曼陀羅華。

 絞首台の下に滴り落ちた死刑囚の精液から生えるという。表面には猛毒があり、触れればたちどころに死んでしまう。さらに、引き抜くときに恐ろしい悲鳴を上げる。これを聞いた者は死んでしまうか、発狂してしまう。

 ――――無論冗談だ。本当は紫蘇の葉。

「へぇ、聞いた事ないな。野菜?」

 …………………そう来るか。

「………薬草、かな」

 へー、と感嘆の声を漏らすタカシ。

 全く何を言っても伝わらない、冗談も通じない友人。

 でも、まぁ。

 だから面白いって事もある。





 あいつには、何を言っても通じない。

 あいつには何を言っても通じないんだ。

















































Back