登るべき階段の段数は十三。 命は常に死に向けて、着実に上へ上へと進んでゆく。 全ての人がそうだ。 長い短いの差はあれど、誰もその摂理からは逃れられない。 だがそれ故、個々の生き方にはそれぞれの差が出るのだとも言える。 なかには多くのものを背負いながら生きる者がいる。 やがて彼らはその背負った物達の重さに耐えられず、少しずつ自らに言い訳をしながらその荷を道程に置いては、それでもなお先へ急ぐ。 行き着くのは死であろうと。 時には何も持たず歩む者もいる。 彼らは重荷になる物が何もない。 それ故いつも身軽で、軽やかな足取りで重荷を背負う者の横を薄笑みを浮かべながら通り過ぎてゆくのだ。 背にかかる重みに嫌気の差してきた者達は、その影を見て羨望の目をするが、結局その時には何も捨てられずそれまでと同じ様に生命の階段を登る。 けれど時は万物に平等だ。 やがてその階段も十段目を越えた頃、何も持たざる者達はふと思う。 自らはこのまま一人かと。 幼い日に聞かされた童話のように、蟻と蟋蟀のように。 やがてその輝きを失ってゆくなかで、後悔の念を持つ者達がいる。 無論、そうでない者とている。 何も持たず、また何も望まず。 特に急ぐこともなく、また遅くもない。 羨ましがられることはなく、人を羨ましくも思わない。 故に、恐れることなく静かに息を引き取れる者もいる。 重荷をずっと、引きずってゆく者もいる。 どんなに重く背にその負荷がのしかかろうとも、何も捨てず。 どんどん重くなるそれを、引きずるようにして。 そして、やがて重くて動けなくなった時、それがそんな者達の一三段目なのだろう。 どれもこれも何処か痛々しく、そして何処か滑稽だ。 所詮人の命など、その程度なのだろう。 ならば恐れるに足らない。 昇ろうか、この階段を。 先に何段残っているか、知る術は無いけれど。 十三段の階段を。 皆登る階段を。 |