愚者の目










 東京の空はどこか暗い。

 黙々と立ち上がる粒子達が日の光を妨げるからだ。

 コンクリートの壁に地を這う音が共鳴し合い、街は常に雑音で満たされている。

 規則的にその時を刻む秒針は、合理的さだけを尊んでいるのだ。

 鼻の粘膜を突く臭いは不快だ。

 ぴりぴりと痛むようなそれは何かの、恐らくは人間達の残骸の、腐り、やがて消えてゆく最後の声だった。

 高く聳える塔達は空の領域を侵している。

 狭く、低い空だ。

 建物の間の細く薄暗い路地に、僕はたまにいる。

 生きてゆくには、そこに無造作に積み上げられた世間の残り物で充分なのだ。

 歪んでいる。

 遠くに赤い回転灯を回してけたたましいサイレンをたてながら走る存在を感じながら、僕は時折そんなことを思う。

 過去を美化して彼の者達は何を思うのだろう。

 戻れぬ事は理解しているはずなのに。

 古き良き時代。

 使い古された、草臥れた言葉だ。

 例え懐かしむ言葉を吐き出したとしても、回り続ける運命の車輪を逆に回すことなど出来はしない。

 語ることは良しとしても、今を否定することは全くの無意味である。

 それは、次に生まれた時は何々に成りたいとほざく戯れ言に似ていて。

 そうだ、若さとは外に向かう力なのだ。

 暴力であり言葉であり、流れる血潮が若い身体に言葉では説明の付かない衝動を与え続け、それに屈すること。

 様々な形を象りそれは外へと吐き出され、流れてゆく人影に何を残すことなく目立たなくとも確実に存在する大きな渦へ飲み込まれてゆく。

 嘆くことはない。

 それが真理だからだ。

 やがて、年を重ねるごとにそれはやがて老いた身体へ向かい始める。

 内側に向かう力、それは押しつける万力であり、贖う術など無い。

 そして。

 そう、時は常に、先へとしか進まない。

 それを嘆くことは全く無意味だ。

 かといって、今現在僕らの回りを象る全てを受け入れるのは不可能である。

 結局、どこかで折り合いを付けるしかない。

 それが僕らの生きる術だろう。

 空を仰ごうと、嘗ての面影を見ることは出来ない。

 この仄暗い空を青空と呼ぶ子供達は、不幸だろうか。

 人工的にアスファルトのなかに作られた、偽りの自然を見せる公園で、その身の内より未だ鈍ることのない輝きを放つ若い命を見ると、僕はそんなことを思うのだ。

 鳥が一羽、僕らを見下すように羽ばたいている。

 狭い空に。  









Close