箱庭
不自由を叫ぶ人よ。
貴方は自由の代償を払えますか?
孤独と、不安と、苦痛。
それでも、自由は不自由に勝りますか?
熱く焼けた砂が吹き荒ぶ荒野を抜けると、久方ぶりの故郷だった。
変わらない街並みを歩くと、懐かしい顔に合う。トリーシャはあの頃の美しさのまま、大人の女性になっていた。
「お帰り、でいいのかな」
少し驚いた顔をした後、彼女は笑ってそう言った。
眩しいくらいの笑顔だった。
「私、結婚するかもしれない」
故郷とはいえ家もない俺を快く迎え入れてくれた彼女は、夕食の後そう切り出した。ウィスキーの氷が静かに鳴る。
「誰と?」
迎に座るトリーシャは、長い栗色の髪を掻き上げる。その奥には、彼女の祖父の遺影が見えた。
「レカノ。最近流れ着いた金貸しの息子」
事情は飲み込めた。彼女の祖父が他界した以上、トリーシャはこの街の大地主だ。
「私は………」
「よかったじゃないか、おめでとう」
しかし俺は彼女が二の句を継ぐ前に、彼女の望んでいない言葉を言った。
「………君も、みんなと同じ事を言うんだね」
例えば。
人は鳥を見て自由だという。
けれど、鳥は俺達をみて毒づいているかも知れない。
身を隠す岩陰があり、羽ばたき続ける苦しみのない俺達を。
トリーシャは昔から、外の世界に憧れている感はあった。
彼女は所謂名家の一人娘であり、深窓の令嬢であった。
部屋で読んだ本が彼女の知らない世界を広げて行く。けれど、見たい触れたいという欲求は満たせない。
外に出るのは、無論家族が反対した。両親が旅の途中で無くなってからは、屋敷の外にすらなかなか出して貰えない程だった。
彼女はいつか言った。
「人は私の家を羨むけど、私にはただの大きな檻だわ」
贅沢な悩みさ。当時の俺には、箱庭のような世界だった。
「お祖父様も亡くなって、お葬式も終わって、私ここを出ようかと思ってた」
トリーシャはグラスを回している。氷がロウソクの明かりを柔らかく反射した。
「けどそんな時にレカノから結婚の話が出て………周りの人は、みんな結婚したらいい、って」
無論、それは彼女の事を思っての事だ。遺産はいつか尽きる。金も無しに、彼女が一人で生きられるかといえば、きっと不可能だ。
「私は、もう、誰かに縛られて生きたくないの。誰かの都合で生きるのは、もうウンザリだわ」
「そう言う生き方も、大事さ」
誰もが自由に生きていては、世界は成り立たないだろう。
「………でも、君は自由な旅人でしょう?」
「俺は、はぐれ者だから」
故郷とはいえ、俺には親も家もない。小さな檻すらも、無い。
トリーシャはくっ、と一気に残りのウィスキーを煽ると、少し涙目の目で俺を見た。肌が少し上気している。
「ねぇ、自分で自分の道を決めるってどんな感じ?世界はどういう風に見える?」
「止めておいた方がいい」
彼女の肌が、熱砂に焼かれるのを見たくない。彼女の髪が、傷んでゆくのは許せない。彼女の身体に、傷が増えるのはつらい。
そして、トリーシャ。
そんな生き方が出来る程、君は強くないんだ。
「君には無理だ」
鳥を羨む全ての人よ。
よく見てみるといい。彼等はボロボロだ。
彼等は心底望んでいるだろう、恐れなく眠れる寝床を。
十分な食事の取れる毎日を。
箱庭で戯れる日々を。
それが例え鳥籠でも、不満は一つもないだろう。
籠が立派なら、尚更じゃないか?
「生きがいは何処で何をしていても見つけられる。人にはそれぞれの役割がある。君は、外に出るべきじゃない」
そう言って俺は席を立った。
「それが檻でも?」
背中からトリーシャの声。
「俺には箱庭に思えるよ」
それは心底正直な感想だ。
「自由に何処にも行けない」
「いつでも帰れる家がある」
自由の代償を、君は払えない。
「ここで、幸せになってくれ」
彼女は、もう何も言わなかった。
翌日。
彼女は部屋で首を吊っていた。
『大きな箱庭も、窮屈な檻でしかない』
遺書はそう走り書かれたメモだけ。
彼女を殺したのは俺だろうか。
それとも、彼女の窮屈な箱庭だろうか。
それはもう解らない。
けれど、彼女はやはり、弱かった。
ここにいれば大丈夫。
日々の生活を保障しよう。
安らかに眠れるベット、美味しい食事、平和な時間。
その代わり、貴方には首輪をして貰います。
どうです?
破格の条件でしょう?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キリリクSS“箱庭”。
自由をテーマに何か書きたかった時だったので、こんな風に。
荒野の小さな街をイメージして頂ければ幸いです。
それは兎も角、返品可です。お気に召さなければご一報を。
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