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この街は腐ってる。昼でも空は灰色で、夜になったら星も見えない。
下劣なネオンが光ってるだけ。
なぁ、希望ってどんなものなんだろう。
「カイ、また来たのかい。金の無いガキは外でやってりゃいいんだよ」
厚化粧の女が下着一枚で俺の前に立っている。鼻につく香水の匂いは間違いなく安物だ。
町外れのどぶ川のすぐ脇。元々の安ホテルは、今や売女を集めた娼婦館だ。
「うるせぇビッチ。それに金ならあるぜ」
俺はジャケットの内ポケットから札束を取り出し見せびらかす。
「あんた、そんな金どっから………まさか無茶でもしたんじゃ………」
べらべらとよく喋るその口に、俺は黒い凶器を突っ込んだ。
MATEBA-MODEL-2006M。マテバの作ったいかれたリボルバー。前々から欲しかったヤツだ。
「銃まで………ホント厄介事だけは勘弁しておくれよ」
慌てて口を引っ込めた女は無視して歩き出した俺の背に叫んでいる。
まるで負け犬の遠吠えだな。
気が大きくなっていた俺はそんな事を思った。ついさっきまで同じ穴のムジナだった俺も、今や勝ち組だ。
馬鹿がデスクの上に置きっぱなしにしたキーと銃。
金と武器をまとめて頂いてやった。
鼻歌交じりに木製の廊下を歩く。半分腐ってでもいるんだろう、ぎしぎしと軋む。
目的の部屋は一番奥、ドアノブのメッキはとうの昔に剥がれたみたい。
「よう、ニコ………」
耳障りな音を立てて開くドアのむこうには、ただベットが一つ。
そして痩せっぽちの女の子がそれに座っているだけだった。
ドアの音と俺の声にびくっと身をこわばらすと、ニコは怯えた目で俺を見る。
細い肢体を包んでいるのは布きれとも言えない様な薄いワンピース一枚。
黒い髪と瞳が、病的なまでに白い肌とコントラストを作る。
幸薄げな顔。死んだ魚の様な目。俺は彼女が笑った所を見た事ない。
泣いてる姿なら何度も見たのに。
「今日も来てやったぜ。客がいなけりゃお前、こんなとこですら暮らせないもんな」
ホントはこんな事が言いたいんじゃない。でも、今まで彼女にしてきた事との手前、優しい言葉なんてかけられなかった。
「ガキのお前買ってくれる奇特な客なんて俺ぐらいだろ。感謝しろよ」
言ってて情けなくなる。この街は腐ってるんだ、少女を抱く馬鹿もごろごろしてる。
第一、俺は彼女がここまで墜ちたあの日を目の当たりにしてるじゃないか。
借金取りに囲まれて、羽交い締めにされて………
糞、顔も知らないヤツに嫉妬してるのか俺は。
「………脱げよ」
彼女は臥したまま、俺の顔を見ないで肌を晒す。
緩慢な動作が彼女の心労を物語っている様で、俺のちっぽけな良心がチクリと痛んだ。
親が作った借金の肩代わりに、子どもが身を売る。
別に珍しい話じゃない。ニコなんてまだいい方だ。親が必死に庇ったのに、無理矢理連れてこられたんだから。
中には親が娘を連れてくる事だってある。
この街は腐ってる。そして俺も腐っている。
「ほらほら、もっと自分で動けよ。じゃないと殺すぜ、殺しちまうぜ」
俺はマテバを右手に持って、左手でニコの腰を掴んでいた。
少女は涙を流しながら、必死にぎしぎしとベットを軋ませる。
違うんだ。
本当はこんな事がしたいんじゃない。
胸を鈍く噛む様な痛み。
糞。
「おら、出すぞ」
暗い感情を掻き消す様に、俺は腰を振った。短い悲鳴をニコがあげる。
また、俺は過ちを犯している。
解っていても繰り返す、哀れなピエロ。笑うのは誰か?
ニコは俺に背を向けて、小さく縮こまっている。
なかなか帰らない巫山戯た客に悪態をつく素振りもない。
少女の目は死んでいる。もう光を映す事はないんだろうか。
俺はマテバを翳してみた。
「なぁ、ニコ。これ知ってるか?MATEBA-MODEL-2006Mっていってさ。
普通のリボルバーはシリンダーの一番上の弾丸が発射されるんだけど、これは上下が逆になってる。
バレルとラグも逆、ハンマーも下」
いつもと違って、なんだか普通の声が出た。
ニコも俺の調子が違うのに気付いたのか、まず俺の顔を見た後マテバを眺めた。
「それだけ聞けばいかれた設計だって思うだろ?でも違う。銃身を腕の軸線に近づける事で、反動を軽減させたんだ」
ニコは何も言わず、ただ黙って俺の話を聞いていた。
「少しくらいいかれてても、成果を残せばそれで良いんだ。………俺達も、同じだ」
少しくらいいかれてなきゃ、こんな淀んだ街じゃ生きれない。
そして。この街で這い蹲って生きるのが厭なら、賭に出るしかないんだ。
「ニコ………」
罪悪感か、恋慕の情か。自由への羨望か、支配からの脱却か。
生か、死か。
「俺と逃げよう」
ニコの死んだ目が少しだけ大きくなった。
「金ならある。武器もある。それにまだ追っ手が来ていない、今なら逃げられる」
気付けば俺はニコの肩を掴んでいた。
はっと気付いて手を離す。バツが悪くて俺は背を向けた。
「………カイ」
そういえば、彼女に名前を呼ばれたのは初めてだ。
振り向いた俺の目に映った彼女は、笑っていたんだろうか。
確かめる術は無い。空気の爆ぜる音がしたから。
白いニコの肌が紅く染まる。
ドア越しに打ち込まれる鉛玉。
ニコの脳漿が飛び散っている。確かめるまでもない、即死だ。
ふっ、と身体が熱くなり、俺はマテバを握る。ドアが開き、銃を持った男が二人踏み込んでくる。
「糞野郎が」
銃口から放たれる357Mag、右に回るリボルバー。
響きあう轟音と硝煙の香り。飛び散る鮮血、生臭いね。
一発、二発、三発、四発。
デタラメに撃った。叫びにも似た怒りの放出。二人を殺してドアの外へ。
数人の男が銃を構えている廊下、部屋から顔を出した女が叫ぶ。
「だから厄介事は厭だって言ったんだよ」
うるせえよ、それどころじゃないんだ。
撃たれるよりも早く俺は撃つ。五発、六発。
弾切れのマテバで手前の男のこめかみを殴る。その拍子に男が落としたのはCOLT-PYTHON、マテバを投げ捨てそいつを握った。
この街じゃ軽くいかれてなきゃ生きては行けない。それでも筋ってものを通さないと、結局こうなるらしい。
俺は………なぁ、ニコ。マテバみたいに成果は残せないみたいだ。
でも今、君に願うよ。このパイソンに込められた六発に、どうか必中の加護を。
「おぉぉぉぉぉぉ」
けたたましく叫び細い廊下を駆ける。
この街は腐ってる。組織の端金と一丁の拳銃を、少女と夢だけの為に盗んだ子ども、殺す為に鉛玉の雨が降るんだ。
俺が撃った倍以上に撃たれた。
六発全部撃って何発当たったかなんてわかりゃしない。ただ俺は、満身創痍ながら外へ出ることは出来た。
急に鼻に届くどぶ川の臭いが気持ち悪い。まだ安香水の方が耐えられるね。
ずらっと並んだCZ VZ61 Skorpion の銃口を向けられて、俺はそんな事を思った。
高そうなスーツを着ている男が手を挙げる。嗚呼、あれが降ろされたら俺も終わりなんだ。
ふと空を見る。
こんな土壇場でも、星の一つも見えやしない。
この街は腐っているね。
腕が振り下ろされる。
なぁニコ、地獄で会おう。
空は遠すぎるから。
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キリリクSS“S”。
お題は『少年と暗闇』だったんですが、なんだかハードボイルド崩れに。
あ、私銃マニアじゃないですよ。そこんとこ宜しく。
ちなみにタイトルは主人公の名前に付けてやるつもりでSにしました。
深い意味はないです。
それではお気に召さなければご一報下さいませ。
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