じ、じじ。
頭上で蛍光灯が鈍い音を出す。
暗がりの中の灯りに群がる虫の中に、大きな蛾が混じっている。
視界の内と外を行ったり来たりされるのは、あまりいい気分でない。
寧ろ不快だ。
背中がずっしりと重い日だった。
その日一日分の疲労やら何やらが、じっとりとまとわりつくように垂れ下がっている。
気怠さだけが、鈍くなった感覚を唯一現実に引き留めている状態。
白濁とした眠気が、蠱惑的な香りを従え後頭部の辺りからじんわりと広まってゆく。
しかしここ、駅の構内で眠るわけにはいかないと、何とも常識的な理屈で本能的な欲求を拒む自分。
音はやたら遠くに聞こえる
耳には届くが、認識をされていない。
そんな時だ。
廻る回転灯の光が網膜に写り、甲高い雑音が鼓膜を揺らす。
そんな時、ごくごくたまに距離というものを厭という程思い知らされることがあるように思う。
顔に出す程ではないが、あまりに密接した人間に対して感じる不快感。
その存在が無音のまますう、と離れていくあの感覚を。
心の隔たりか、それとも個人間の領域か。
どちらであろうと、またどちらでなくともよい。
距離を感じることに、自分は微かにほくそ笑むだけだ。
所詮個々の存在は遠い。
彼とか、彼女とか言うのはその所為だ。
近すぎるのが寧ろ不自然で、不自然故に特別、若しくは特異に成り得るのだろう。
静かに文庫に目を落とす、中年男性の影が微かに足下に届くような状態で自分の他人との距離を切に感じる。
独りであるという微かな不安と不快感を、安楽な感情達が覆い尽くしてゆくことで安堵を得る。
幸福ではないだろう。
無論不幸のつもりもない。
ただ兎に角、今はこれ以上距離を詰めること、詰められることは遠慮したい。
急行が目の前に停まった。
人混みが密室の中に押し込まれて行く。
作り上げられた世界での距離も、物理的な感触には叶わぬだろう。
軋む音と共に戸を締めて、がたごとと駅を出て行った。
自分はと言うと、ホームに立ち尽くしている。
散乱とした夜は、点滅する蛍光灯で申し訳程度に照らされたまま。
独りになりたいんだ。
構わないでくれ。
群がる蛾に言ったところで、どうにかなるわけでもない。
熱に当てられ、一匹の蛾が死んだ。
それだけの話だ。
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キリリクSS“蛾”。
リクエストにあった『ダックスフントのワープ』と『虚人たち』、
その雰囲気をどうにかだそうとしましたが…
なんだろコレ。
無論返品可ですのです。