彼を偲べど今、我が身はその側になく、
唯、彼の役に立つ為だけに

『闇の現』より、朔と百合子の過去
 叶わぬ事は知っている
けれど。
 ねぇ・・・
 もう一度。
 名前を呼んで・・・
『百合子』と。




 思い出はいつだって暗い。

 明るい日の光はそこにはなく、どんよりとした暗さだけが少しずつ、それでも確かに胸に積もっていった。

 夜、影、曇り、そして闇・・・

 私が彼と共に過ごした時間、場所。それはいつも暗さに満ちあふれていて。

 そして、それは目に映るものだけでなく心の中も。

 充たされぬ想いが淀み、濁った色が滲むように染め上げていった。

 それを悲しいとは思わない。

 この暗さは、彼の側にいた証だから。

 闇に魅入られた、彼の側にいた証だから。

 御鏡朔。

 彼の側に・・・





 三年前、私たちがまだ中等部にいた頃。

 昔から同じ学校に通っていた二人なのに、その時初めて同じクラスになった。

 はっきり言って、彼はクラスで浮いていた。いや、浮いていると言うより馴染んでいなかった。

 病的なまでに白い肌に、紅い瞳。

 その異様な外見に加えて、排他的で攻撃的な性格。

 そんな彼の周りに好んでいようとする人は少なく、彼も他人を拒む性格だった。

 何度か不良とレッテルを貼られた人たちが彼に頻りに話しかけていた時期もあったが、彼は不機嫌な表情で冷たい目線を返すだけで、きちんと話をしたことは無かったように思う。

 暫くして、そんな彼の態度に気を悪くした不良たちに彼が呼び出された。

 クラスの人たちが自分たちが善人であることをアピールしたいのか、まともに話したこともない彼の身を頻りに案じる声をあげていることに吐き気にも似た不快感を覚えたことをはっきりと覚えている。

 ただクラスの一ヶ所に集まって声をひそめて話し合うだけで、誰一人彼を助けに行こうとはしなかった。

 私はその空気に耐えられず、彼の呼び出された体育館の裏に行くため私は教室を出た。

 雨が、降っていたと思う。

 体育館の側に来たとき、私の鼓動は早まった。

 排水溝に流れ込む雨水に、紅い色が混じっていたから。

 甲高い笑い声と、ぐもった悶絶の声が雨音に混じって聞こえてくる。

 最初は彼がリンチにされているのだと思ったが、事実はそうでなかった。

 今思えば、笑い声が一つだった時に気付いても良かったと思う。結局、私もあの時は彼という人を良く理解していなっかたのだ。

 急いで裏まで駆けた私の目には、異様な光景が広がった。

 堅いコンクリートの地面に蹲る一人の男子生徒と、蒼い顔でがたがた震える取り巻きの不良達。

 腹を押さえ蹲る男子の脇に、彼の背中が見えた。

 高らかに笑う彼。

 その手には、紅く濡れたナイフが握られていた。

「朔・・・君・・・」

 突然のことにそれだけしか口から出てこなかった。

 私の声にゆっくりと彼が振り向く。返り血を浴びた彼の肌は、いつもより際だって白く見えた。

「よう百合子、どうした・・・・?」

 彼は笑っていた。紅い目を爛々とさせて。

 彼は笑っていた。

 濡れた肌。

 濡れた黒髪。

 血。

 紅い目。

 笑顔。

 私の心は、その時突き動かされた。

 結局、私もまともでなかったのだ。

 闇の神の眷属だから。

 彼も、私も。  

  

 その後、彼には一切のお咎めがなかった。

 彼の持っていたナイフはもともと蹲っていた男子の物で、構えた直後彼に奪われ逆に刺されたのだという。

 そのため、今回彼は身を守るために咄嗟に相手の持っていたナイフで刺したのであり、その原因を作った不良達に責任があるとされた。

 また刺された生徒は以前から素行に問題があった生徒で、嘗て停学処分を受けていたらしい。あの場にいた彼以外の生徒も学園側といざこざがあったという。

 それを利用して、『本来なら警察に連絡するところだが、内々のうちに処理させてくれれば特に彼等にも処分は課さない』として彼等の親を学園側が丸め込んだのだという。

 これは彼から聞いたたことだ。

 学園側はこの一件のことを生徒達に一切伝えていない。

 当時何も知らなかった私は、なるほど汚い世界だ、などと思っていたが、今考えれば納得がいく。

 私立聖陵学園、ここは私たち搦手を守るための場。その背後には国がいる。

 闇の現の次期頭首を守るためならばそのくらい当然にするだろう。

 それにしても、国の力とは恐ろしい物だとつくづく思う。

 あの場所にいた生徒、そしてあの一件に関わった全ての教師達が少しずつ、退学や転勤といった形で学園から居なくなっていった。

 深くは考えないけれど、きっと毎日流れるニュースに紛れて消されていっていることだろう。

 四条機関には、そういった裏の仕事を受け持つ組織があるのだから。

 きっと、あの事件に関わってまだ全うに生きているのは私と彼の家族ぐらいだろう。

 彼も私も、闇の現の搦手なのだから。



 この一件以来、私は急に彼を意識し始めた。

 元々遠い親戚で、幼い頃から彼には面識があった。

 所謂幼なじみで、名前も、そういったことを意識する前から下の名で呼び合う程度にはよかったと思う。

 まだ、互いに互いの宿世を知らなかったあの頃。

 幼いときから彼は狂気の片鱗を見せていて、小動物をいたぶって遊び、血を好んだ。

 幼少期特有の残忍性と言ってしまえばそれまでだが、明らかにそれとは違う。

 彼は、笑うのだ。その瞬間に。

 私も、小さいときは彼と一緒に笑っていた。けれど少しずつ成長するにつれ、それが“いけないこと”だと知る。

 普通に生きるには、そういったことをしてはいけない。

 周りの目を気にして、私はそういう遊びを止めていった。

 けれど、結局性は変わらないし変えられないのだろう。

 血を浴びた彼の顔。

 彼の中の狂気、闇。それを過敏に感じとのだと思う。

 彼と居れば、もっと見れる、もっと感じれる。

 それが、結局の所彼に惹かれた本当の理由なのだろう。

 あの時は、それを恋だと言って自分を騙したけれど。まだ宿世を知らなかったから。

 けれど、例え始まりが恋でなくとも。それからの私の想いは、紛れもなく恋だった。

 でなければ、今こんなに辛い気持ちではないはずだもの。

 血も、殺戮もあるのに。

 彼は居ない。私の側に。

 私が居ない。彼の傍らに。

 辛い。それが辛いの。

 

 ナイフの一件以来彼は少し変わった。

 不機嫌な顔は少し緩み、こちらから話しかければ少しは言葉が返ってくるようになった。

 結局彼も、世の言う倫理に自らの闇を押し殺していたんだろう。だから苛立っていた。けれどその苛立ちを解消する術を知ったことで、苛立ちが収まり、人を寄せ付けない雰囲気が緩和したんだと思っている。

 多少の社交性を備えた彼は一躍女子生徒の間で人気になった。確かに端から見れば口数が少なく、クールでストイック、容姿も整っており、そのうえ細く長身だった。

 あくまでその時の周りの認識だったが。

 ともかく彼の人気はぐんぐん上がっていった。暫くして、ちらほら告白するだのしただのの声が聞こえるようにもなった。

 私は焦った。彼を取られたくなかった。

 だから私は、彼を呼んだ。あの、体育館の裏に。

 日が沈んだ空は暗かった。

「用って、何だよ・・・」

 流石に女子に呼び出される意味がわからない程鈍感ではないのか、少し頬を赤らめた彼が言った。

 今まで見たことの無い彼の表情に、否応なく鼓動が早まるのを感じた。

 けれど、同時に押し潰されそうな程大きな不安が襲いかかってきた。

 もう何人もの女の子が彼に告白しているのに、誰もいい返事を貰っていない。

 自分も、振られるのでは。

 いまの今までただ焦りに任せてそんなことを考えもしなかった自分が恨めしかった。

 今ここで言った一言が、私たちの関係をずっと壊してしまうかも知れない。そう思うと、それまで言おうと思っていた言葉がどんどん霧散していく。

 背中に厭な汗をかいた。

 もじもじしてなかなか言い出せない私に痺れを切らしたのか、それとも彼も緊張に耐えられなくなったのか、私の脇を通って彼が帰ろうとしたときだった。

 咄嗟に彼の手を掴んで、勝手に言葉が出た。

「好きなの、朔。」  



 彼の手は、酷く冷たかった。

 けれど握った私の手は熱くて熱くて燃えだしそうだった。

「何人かに、同じこと言われて、さ。はっきり言って、困った。」

 言葉を句切り、少しずつ話す彼は私から目を逸らしていた。

「だって、さ。いきなり好き、とか、付き合ってくれ、っていわれても、な。」

 張り裂けそうなぐらい、鼓動は早まっていた。

「正直、どうししていいか、わからないし。相手のこと、俺、よく知らないし。」

 最悪の展開だ。そう思った。間違いなく振られる。きっと私はこの時涙目だっただろう。

 その時、彼が私の目を見ていった。

「だから、さ。百合子のことはよく知ってるし、よ。好きだ、って言われて、嬉しいし、その、何だ・・・」

 私のしっかりと握った手とは逆の手で、頭をかく仕草を彼がする。

「お前なら、その、いい、かもな・・・」

 私は、その一言で泣いた。

 そんな私を、彼は優しく頭を撫でてくれた。

 幸せだった。

 最高に。



 そして、最高の後は下るだけだった。



 彼と付き合っていることは両親には言わなかった。

 二人は私が彼の側にいることをともかく良く思っていなかったから。

 当時は全くその理由が分からず、彼を決してよく言わない両親が少し嫌いだった。

 結局、ただ私が何も知らなかっただけだったけれど。

 冥王の側にいる、まだ若い搦手は「神々の器」になる。

 器になれば他の搦手達とは比べようのない程の強力な力を得ることが出来る。ただ、それは同時に他の搦手立ちよりも多く闘わねばならないこと、つまり死の危機を多く持つことを意味する。

 両親が私から執拗に彼を遠ざけようとしたのは、私を可愛いと思ってのことだと知ったのは、随分と後になってからだった。

 その時はまだ、私たちは自分のことなんてこれっぽっちも知らなかったのだから。

 ただ、幸せに溺れていた。



 日の光を好まないという変わった趣向があった所為で、私たちが一緒に出かけるのは圧倒的に曇りや雨の日が多かった。たまに夜遅く家を抜け出して、彼と夜が明けるまで一緒に居ることもあった。

 口べたな彼は、あまり自分のことを話すことはなかったけれど、妹のことをよく話してくれた。

「輝更、さ。この間学芸会で主役やって、よ。シンデレラ。普通ヅラ被るのに、あいつ金髪だから、地毛で出てさ、結構、好評だったんだぜ。」

 笑顔で話す彼の横顔を見て、『ああ、いいお兄さんなんだな』なんて思えた頃もあったのだ。

 何も、そう何も知らなかったから。

 何も知らない私たちは、少しずつ互いの距離を縮めていった。

 手を繋いで、日の沈んだ街を歩く。

 雨の日に、傘の中でキスをして。

 そして、夜の公園で結ばれた。

 幸せだった。

 幸せすぎて、無知すぎて、私は違和感に気付かなかった。

 いや、もしかすると気付かないふりをしていたのかも知れない。今になっては、もうわからないけれど。

 そして私たちの及び知らぬ所で、確かに運命は動き出していた。



 自分の力を知ったのは中三の春。

 稲穂神社に翁から呼ばれ、地下で全てを説明されたときに。

 言われるがままに木の枝を前に念じてみると、自在にそれが形を変えた。繁茂する樹木の神、世宮螺の力。そして、私は「八器」のうちの一つとなっていた。

 驚いた。

 そして、絶望した。

 彼のことを聞いて。

 彼は深遠なる闇の神、斑愈回の力を引き継ぐ者。

 闇の現を統べる、冥王。

 そして、冥王は御子を求める。

 御子、それは・・・

 彼の妹、輝更という少女だということ。

 想いは、音を立てて崩れた。

 違和感は、この時親の言いつけを破った私に罰として現れたのだ。

 

 何故気付かなかったのか。

 彼が話すのは、いつも妹のことばかり。

 彼が笑うのは、いつも妹のことばかり。

 彼が気にするのは、全て妹のことばかり。

 妹、妹、妹。

 嗚呼全て、光の御子たる輝更のことばかりだった!!

 そう、彼は探していた。その歪んだ欲望の捌け口を!!

 本人が意識していなくとも、彼の本能が!!

 けれどまだ目覚めていなかった彼は理性を食いつぶす程の狂気を持っておらず、だから、だからっ・・・・・・

 私で手を打ったのだ・・・・・・

 御子の代わりに・・・

 私は、彼の慰安婦だった・・・・・・



 別れを告げたのは私からだった。

「つきあえない、友達に、ただの親戚同士に戻ろう。」

 多分そんなことを言った。

 彼は不思議そうな顔をして『なんで、だよ・・・』と小さく呟いた。

 私は手を強く握って、言った。

「朔、私より好きな人いる、でしょ?」

 身体が震えた。

 握る拳に力がこもった。

 けれど彼の目から視線を離さなかった。

 本当のことを言って欲しかったから。言ってなんか欲しくなかったけど、言って貰わなきゃ、きっと、ずっとそれを認められない気がしたから。 「好き、っていうか、な。どうしようもないくらい頭の中占めてる奴は、居るよ。」

 ばつが悪そうに、私から目を逸らして言う。

 いつも通り、区切れ区切れの言い方。

 いつも通りの彼が。

「でもっ、でも、好きじゃ無いんだ。っていうか、その、なんだ。好きになっちゃいけない相手、って言えばいいのか・・・」

 唇を噛んだ。 

 耳まで熱かった。

 涙が溢れた。

 悲しくて、悲しくて、もうどうしようもなかったけど。

 偽り無く話してくれる彼を、愛して良かったと思えた。

「ともかく、だから、そいつとの事は全然、好きとかそういうのじゃないんだ。だから、さ・・・」

 その続きを聞きたかった。『別れるとか言うなよ』、『好きなのはお前だ』。今はもう、知る術のない言葉。けれど。聞くわけにはいかない。いかない。

「・・・違うよ。朔は、その子のこと好きだよ。私、分かるから。」

 言わなくてはいけない。

「朔、いつもその子のこと話しているし、その時が一番いい顔している。・・・私、もしかしたらあの子のこと好きな朔に恋したのかもね。」

 最後の一言は、はっきり言って言い訳だ。思い浮かんだ、陳腐な言葉を言っただけ。でも、もしかするとそんなことが真実だったのかも知れない。

「・・・輝更ちゃん、でしょ?」

 驚いた彼の顔。忘れられない。忘れられない・・・

「誰にも言わないから。・・・さよなら・・・・」

 立ち尽くしたままの彼の側を通る。

 彼は、手を掴んではくれなかった。



 それからだ。

 互いに名字で呼び合うようになったのは。

 いつもどこでも他人行儀に。

 目を合わせようとしないで。

 彼はもう、私に未練は無いだけど。ただ、引け目だけを感じているようで。いつも、私の前で卑屈になる。

 もう普通に接することすら出来ないのだろうか。

 悲しいけれど、きっとそうだろう。

 もし違うとして、私からそれを言えるだろうか。

 自分から、せめて妾でもいいから側に居させてとでも言えたはずなのに。

 一番でなくていいから。

 愛してくれなくてもいいから。

 側に。

 なのに、下らないプライドがそれを許さなかった。

 一番に愛されたい、私だけの人であって欲しい。

 それが叶わないから、私は自分で彼の側にいる権利を放棄した。

 そして、高校二年の春。

 彼は目覚め、御子も目覚めた。

 もう、私の戻る場所は彼にない。

 だから。

 だからせめて。

 彼の役に立ちたい。

 一人の搦手として。

 せめて。



 彼を偲べど今、

 我が身はその側になく、

 唯、

 彼の役に立つ為だけに。




闇の現